ランニングを始めて、疲労との付き合い方に対してよく考えるようになりました。
「ランニングを始めて」というよりも「加齢するにしたがって」という方が正しいのかもしれませんが、故障や体調不良を防ぐ意味でも、疲労との付き合い方はとても重要だと思います。
その疲労に対して、休養を取る、食べる、サプリを摂る、寝る、ケアをするなどの対策はしていますが、「自分がどこまで疲れているか?」のモニタリングが難しいなといつも感じています。
と、いうのも疲労というのは、ランニングだけで出来るものではなく、その他の生活によっても出来るものだからです。
毎月月間走行距離300~350km位走っておりますが、同じ位の月間走行距離でも「体が楽に走れた月」と「そうでもなかった月」、「キツかった月」があり、後から振り返っていくと、ランニング以外にも様々な要素が絡んできて疲労というものは形成されているな・・・・と思いました。
そんなことを思ってから、ランニングのトレーニング内容や月間走行距離だけを見て、疲労状況を判断するのは危険だなと思い、最近ではランニング以外の疲労も考慮しながらトレーニングをするようになりました。
そうは言いつつも、目標とする大会があると「多少疲れていても、やるしかねぇ!!」とリスク上等で行くときもありますが、リスクを負っていると自覚出来ているだけでも良いのかなと考えております。
「疲労」と切っては切れない関係にある体。
元気にランニングを楽しむには、疲労と向き合っていくのは不可欠。
そんな感じで、疲労について考えていることを書いていきたいと思います。
考慮すべき疲労
僕の場合、かつては疲労状況の判断をランニングのみで判断していることが多かったです。
ある時に、走り始めた当初の2011年からつけているランニングの記録を見返していく中で、疲労状況と自分のプライベートや仕事の状況も結構関係あるなと気づきました。
そういったことから、自分の体の疲労状況はランニングによる疲労を中心に捉えつつも、その他の要素も踏まえて判断した方が良いなと考えるようになりました。
僕が考慮するその他の要素は、
- プライベートの疲労
- 仕事の疲労
- 気候条件
この3つです。
ランニングの疲労
ランニングの疲労はモニタリングしやすいように感じます。
- 強度の高いトレーニングの頻度
- 週間、月間走行距離の増加具合
- 大会での追い込み具合
- 筋肉痛の有無
このあたりを考慮しながら、疲労の状況を判断しております。
自分で主観的に感じる疲労(筋肉痛やだるさ、眠気)と、数字(走行距離と強度)を合わせて疲労状況をモニターするようにしております。
プライベートの疲労
- 家庭関係の用事
- ランニング以外の遊び
- 筋トレ
結構この3つも見逃せない、疲労の要素。
睡眠時間が減っていたり、主観で疲れを感じる時は走る量を減らしたり、休んだりするようにしております。
仕事の疲労
- 残業
- 異動によるストレス
- その他業務過多、対人関係のストレス
仕事のストレスを走って解消している僕としては、仕事の疲労で走らない、走れないというのは不本意ではあるのですが、仕事の疲れもかなり走りに影響し、無視していると疲労が溜まってくる感じがあります。
これもプライベート関係の疲労と同様に、睡眠時間が減っていたり、主観で疲れを感じる時は走る量を減らしたり、休んだりするようにしております。
気候条件
猛暑の中の月間走行距離300kmと冬場の月間走行距離300kmでは、僕の感覚では、猛暑の中の方がキツさを感じ、疲労が大きくなるような感覚があります。
熱中症っぽくなったりすると、数日はだるさが続く感じがありました。
こういった気象条件も疲労具合を見る際には参考にして、走る際も距離や設定を落としてやることもありますし、休むこともあります。
そういったことから、夏場は月間走行距離が300kmを切ってしまうことも度々あります。
体の声か?頭の声か?
いつも悩むのが、「走って大丈夫」「疲れている」、こういった体の反応が「体の声」なのか、それとも「頭の声」なのかという所です。
「走って大丈夫」は、素直に聞けば体の状態が問題ないからそういう反応なのだということですが、例えば「今月は目標の走行距離に達していない」とか「大会まで逆算するとこの日にこのトレーニングをしないとヤバい」という思いが先行して、本当は走らないほうが良いコンディションでも「走って大丈夫」という反応、解釈をしてしまっている時がある。
反面、「疲れている」も本当に疲れている時もありますが、僕はナマケモノで、キツいことから逃げがちな人間です。だから、体が疲れていなくても「やらなくていい理由探し」で「疲れている」という反応、解釈をしているのではないか?と思う時もあるのです。
この辺の、「体の声を聴いているのか、頭の声を聴いているのか問題」はこれから先ランニングをしていく中で向き合っていくテーマになるのかなと思います。
こうやって、疲労が過度に蓄積していくことを可能な限り避けてトレーニングをしていくことを大切にしており、故障や体調不良に陥らないことを第一に考えてやっておりますが、この考えに思う部分もあるのです。
長距離走ることの本質とは?僕がよく悩むこと
長距離走ることは楽しい。
フルマラソンやハーフマラソンなどで過去最速に挑戦するのも楽しい。
でも、こういう挑戦している時って、楽しいだけではない。
僕がヘッポコだからかもしれないけど、はっきり言って死ぬほど苦しくてネガティブになってしまう時がある。
そういう時に粘れる自分もいれば、諦めて放り投げてしまう自分もいる。
放り投げてしまう自分を見つめていると、結局の所苦しい所で我慢、粘り、現状を打開する為に考えることを放棄してしまう弱さがある。
結局の所、苦しい、つらいという闇の時間は必ず訪れる。
そこに対峙するというのも、長距離を走ることの本質のひとつなのではないかと思っている。
その時に、「故障や体調不良に陥らないように」ということを第一に掲げてトレーニングをしている自分が、つらいとか苦しいという闇の時間に対峙することが出来るのだろうかと思う時があるのです。
端的に言えば、もっと追い込まないとダメなのではないかと。
この辺りはずっと手探りで、自分の限界点を探りながらトレーニングをやっているというのが現状です。
追い込みすぎてもダメだし、追い込まなくてもダメ。
疲れすぎているのもダメだし、疲れていないのもダメ。
新しい領域(距離やスピード)に挑戦するのならば、今の自分のキャパを少しづつ少しづつ広げていくこともしないといけない。
このキャパを広げていく作業が楽しくもあり、難しい。
そのキャパを広げていく際に、無視出来ないのが疲労のマネジメントだと思っている。
健康に、元気に走り続けたい
色々とつらつらと書いてきましたが、ランニングに疲労は付き物。
「トレーニングして、疲労して、回復する」
このサイクルを如何に上手く回していくか。
僕はついついトレーニングにばかり目が行って、疲労の見定めと回復を軽視して故障したり、体調不良になってしまったり、逆に大事に行き過ぎてトレーニングで掛ける負荷が少なすぎたりすることもある。
疲労の見定め。
これは案外トレーニングや回復よりも難しい気がする。その時々のラン以外の状況によっても変動し、一年一年年齢を重ねていく体。固定されている要素がないので、その場その場での見定め力が必要な気がする。
これからも元気に走り続けて行く為に、疲労の見定めをする目も鍛えていきたいと思います。
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