2008年にギリシャリクガメのリッキーを飼い始めて、この記事を書いている時点で飼育15年目となりました。
この15年の間で2匹のリクガメを亡くし、2020年にロシアリクガメのずんだをお迎えしました。
2匹のリクガメを亡くしたことや、リッキーを病気にしてしまったり、失敗は数知れず。
そんな失敗をしながら、まだまだではあるもののようやく自分の飼育の考えや飼育の「型」のようなものが見えてきました。
・・・・こう書くと、これからすごい硬い文章書きそうな感じな匂いがしますが、
「僕にとってのリクガメ飼育は、慈愛に満ち、かつ科学者のような目線で日々お世話をし、判断が必要な時には疾風の如く素早く判断し、それでも振り向いてもらえない永遠の片思いであることを覚悟しながら楽しむものである」
こんなトンデモ飼育観が出てきました。
・・・・なんだそれ。
こんな僕のリクガメ飼育観について、書いてみたいと思います。
片目は慈愛に満ちた母親のような目、もうひとつは科学者のような目
リクガメを飼育するにあたって、今は手元にない本に書いてあった言葉なのですが、
- 片目は慈愛に満ちた母親のような目
- もうひとつは科学者のような目
この言葉をとても大切にして飼育をしております。
愛情を持って接するという部分は、生き物を飼育する上で大切なことだと思います。
これに加えて「科学者のような目線」。
これも大事で、リクガメは日本にはいない動物です。
その為、ケージ内で原産地に近い温度、紫外線量、湿度、最適な食事を再現していく必要があります。
要求される数字を満たしているかどうか、日々確認して、満たしていないようならば満たすようにしていくようにしております。
数字をベースに環境を再現し、そこにいるリクガメを観察する。
不調などはないのか、言葉で訴えられない彼らの体調も観察する。
数字だけ見ててもダメだし、愛情たっぷりにリクガメだけ見ていてもダメかなと思っております。
片目はまるで母親、もう片方はまるで科学者の目線。
この絶妙なバランスで飼育環境の再現と給餌をし、そしてリクガメを観察していく。
これを毎日繰り返していくのが、とても楽しいです。
動くか、動かざるか、判断は迅速に
飼育をしていると、判断に迫られることがあります。
- 飼育環境を見直すか、否か
- 給餌方法・内容を見直すか、否か
- 体調が悪そう、病院に連れて行くか、様子を見るか
判断はゆっくりで良いものもあれば、すぐ判断しないといけないものもあります。
いずれにせよ、根拠を持って素早く判断していくことが重要だと思っております。
この判断のスピードでリクガメ達に申し訳ないことをしてしまったことがあるので、判断は迅速にするということを大切にしております。
判断するにも、判断材料となる情報や知識がないとどうにもならないので書籍やインターネットなどで情報収集をするようにしており、これも楽しいライフワークの1つとなっております。
基本的に、必要以上に関わらない
基本的に必要なお世話を除いて、あまり彼らに干渉しないようにしております。
と、言うのも、
リクガメは「慣れる」ことはあっても「懐かない」というふうに思っております。
正確に言うと「懐くことを期待しないようにしている」という感じです。
こうは思っていますが、ケージの近くに行くと寄ってきたり、部屋散歩すると付いてきたりすることもあるので懐くことを期待してしまう部分もありますが・・・・
あまり期待しないようにしております。
こう言うと、とてもドライな感じがするので、
永遠の片思い
こう思って彼らと接するようにしております(;^_^A
彼らが、僕に対して気を許してくれていればラッキー。それ以上は求めないというスタンスで接しております。
まとめ
こんな感じで、
慈愛に満ちた目で見守ったり、
科学者のような目線で観察していたり、
疾風怒涛の判断を下していたり、
そんな感じでお世話を楽しむけど、
永遠の片思いであることを覚悟し、理解している。
そんな僕のリクガメ飼育観でした。
そんな一方通行で片思いな関係かもしれませんが、リッキーとずんだと暮らす生活は本当に楽しいです。
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