今年は、僕にとってランニングとか趣味の向き合い方を改めて考える一年となりました。
色々あって、今年のチャレンジ富士五湖と野辺山ウルトラマラソンはDNS。
あれから、DNSの原因となった問題は少しづつではあるけど収束に向かい、少なくとも僕らが出ていかないといけないような状況は夏に脱し、現在は見守りといったフェーズに入っている。
そんな状況で、ようやく最近物事を前向きに考えられるようになってきた。
まぁでも、あの出来事は正直インパクトありすぎて、自分の今後とか色々考えてしまうレベルでしたし、今後のランニングについても色々と「大会はもういいんじゃないか」とか「やっぱり出たい!」とか二転三転、堂々巡りで逡巡することが多かった。
そんな感じで逡巡してきたけど、
「やっぱり、ウルトラマラソンで100km走ることにチャレンジしたい」
「今まで走ってきた、野辺山ウルトラマラソンとチャレンジ富士五湖。これに挑戦したい。」
そんな思いが、逡巡する中で湧き上がってきた。
そこに辿り着くまでの、自分の頭の中の迷いや考えを、未来のウルトラマラソンに挑戦する自分への肥やしとして残しておきたい。
自分の中での逡巡
今年のチャレンジ富士五湖と野辺山ウルトラマラソン出走を断念した4月。
ブログを読み返すと、当時はあまりネガティブなことは書かないようにと意識しているつもりではいましたが、所々に色々家庭問題への感情があふれ出ていました(;^_^A
本当に、この時期はキツかった。
常に「なんでだよ」「なんでこんな目にあうんだ」「これ、被弾したらランニングどころじゃねーよ」と「どうしよう、どうしよう」と思考が堂々巡りしていました。
日に日に悪くなっていく体調。
そんな中で、問題も少しづつ収束に向かい、体調も上向き、ランニングも大会に向けてガンガン走るというトーンには程遠いものの、楽しんで走れるようにはなってきていました。
そんな中でしたが、「もうウルトラマラソンを目指して走るのはもういいかな・・・」という感情が出てきました。
理由としては、
- 家庭問題が一段落着いたとは言え、完全収束ではない為いつまた修羅場になるかわからない
- 修羅場になると、大会どころではなくなる
- そうなった時、DNSした時のエントリー代がマジで勿体ない
- そうなった時、大会を目指して走るほどの心身の余裕がない
- 「そうなった時」とか言っているけど、若干今も家庭問題についての不安感があってふとした瞬間に頭にチラつくことがある
この辺り。
でも、こんなことがきっかけで好きなことを止めるのも嫌だし、これで好きなことを止めたら一生この出来事を「あれさえなければ、あれさえなければ」と思い続けてしまいそう。
それは、嫌だし、地獄だと思う。
そんな中で、Xを眺めていた時に出会った言葉。
「つまづいたのは誰かのせいかもしれないけど、立ち上がらないのは誰のせいでもないわ」
という、ルパンでおなじみの不二子ちゃんのセリフ。
そうなんだよなぁ。本当その通りなんだけど、僕は弱い。
でも、こうやってグチャグチャ悩むってことは、やっぱりウルトラマラソンに挑戦したいってことなんだよなぁ。
ウルトラマラソンへの畏怖と渇望
僕にとって、1日で100kmとか118km走るのは、何度やってもビッグチャレンジだ。
途中で何度も心が折れるし、体もありえない位キツくなる。
当日だけじゃない。その日に向けて、準備する日々だってなかなかハードだ。
もちろん、キツさやハードさの中に楽しさはあるけど、やっぱり覚悟が必要だ。
大して長く生きていないけれど、確信を持ってることがあって、人間、やりたいことやらないとどんどん後ろ向きになる。顔つきがおかしくなる。やりたいことやらないで、ずっと蹲っていると、たった1だったはずの問題を自分の中で100にも1000にも増幅させてしまう。そんなメンタリティになっていってしまう。そうでない人もいるかもしれないけど、僕はそういう感じだ。
やりたいことでなくてもいい。
「動く」「何かをする」ことが大切なのだ。
しかし、いくら動いた方が良いとわかっていても、100kmに挑戦する体作り、当日それに挑む覚悟を再び作れるか?
そんなことをここ最近はウダウダと考えていた。
でも、考えたり、悩んだりする時点で、「やってみたい」ってことだと思うし、またあの挑戦をしてみたいということは明らかだった。
と、いうか、挑戦に飢えていると言っても良かったかもしれない。
ウルトラマラソンがなくても、日々走っているし、仕事もしていて何かとくたびれるし、他にも何かしらやってそれなりに充実はしていると思う。
でも、やっぱり飢えている。ウルトラを走る中で感じる色々な感情に飢えている。
あの瞬間は、ウルトラ走らないと訪れない
ウルトラマラソン当日までのトレーニングしまくる充実した日々。
スタート前の高揚感と恐怖感。
極度の疲労の中で目にする景色の美しさと口にする食べ物の美味しさ。
疲労と距離を重ねていくにつれて、ひねくれた自分の殻が取れていく感じ。
普段雑音だらけの頭の中が、まるで音のない世界になったように静まり返る感じ。
ゴールした時の、達成感とか安堵感とかでもない、不思議な感情。
列挙したこれら、いいや、まだまだあるかもしれないウルトラを走る中で味わえる感情は、ウルトラを走ることでしか味わえないみたいだ。
だから、やってみようと思う。
きっと僕は弱いから、この先ウルトラマラソンに向けて準備する中で家庭問題やら何か他の問題が出てきたら、後ろ向きになってしまう時がきてしまうと思う。
その時は、ここを読み返して奮い立ちたい。
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