78kmに渡る坂道を登って下ってのオクムも、ラスト10kmとちょっと。
今年の春のウルトラ三部作の三作目、オクムのゴールが近づいて来た。
毎年恒例行事となりつつある、チャレンジ富士五湖、野辺山、オクムのウルトラ三部作。
毎年同じコースを走っていても、全く飽きる感じがしないし、毎回新鮮な気持ちで楽しんでいる。何故か考えてみると、気候が毎回違うことと、自分の状態が違うことが大きいのだと思う。
小さい頃から、マンガも、本も、映画も、ドラマも、何度も繰り返し同じものを見たり読んだりして楽しんでいたので本質的には子供の頃と何も変わっていないのだろう。
そう考えると、僕は走ることに飽きるか、故障等で走れなくなるか、別のウルトラに出るとかしない限りはまたここに来るだろうし、ウルトラ三部作とかアホなこと言って連戦を懲りずにずっとしているのか・・・?
うーん。多分しているな。好きだし楽しいから。さっきもエイドで「また来ます!」とか言ってたし。
未来はどうなるかは、全くわからないけれど年老いた自分がウルトラを走っているのを想像すると、思わず笑ってしまった。好きな事をやって、楽しんで生きていたい。
おっと、脳内でおかしな未来のことを考えてしまっていたけど、まだオクムは終わっていない。
今日も、途中の坂ではキツくなり、食べ過ぎによる最高に自業自得な腹痛を起こし、それでも景色や応援に励まされてここまでやってきた。やっぱりオクムはハードで、楽しい。
今年のオクムもラスト10kmと少しとなってきた。
ゴールまで、思い切り楽しんで駆け抜けていきたい。
ついにラスボスに挑む
70kmを過ぎ、ユガテエイドで最後の腹ごしらえ。
一時は腹痛に苦しめられましたが、この辺りではすっかり回復。
基本「食べないと元気出ないでしょ」という考えなので、食べれるならばどんどん食べます。
復路で今までで経験したことないことが一つあって、それはエイドを貸し切り状態であったこと。
エイドに入る際は、拍手で迎えて頂き、食べる時も話しかけてもらえ、出る時は「いってらっしゃい!!」と送り出して頂けるという何ともありがたい状態に。
こんな感じの待遇を復路の何か所かで受け、ありがたいやら照れるやら。
単独で前後に誰もいない状況になることが多かったので、エイドでの会話が本当にありがたかったです。
ユガテエイドを過ぎると「ラスボス」と呼ばれる最後の登り坂。
なかなか強烈な登り坂。特に70km走ってきた脚には泣きを入れたくなるレベル。ケツが、ハムストリングスがそれぞれにメリメリいって「これ以上こき使うのは勘弁して下さい」と主張している。
「ケツよ、ハムストリングスよ、ゴールしたらしばらくは休みだから数kmだけ耐えてくれ」
そんな感じで体に喝を入れつつ、「歩き倒さない、可能な限り走りを混ぜる」という意思はあるものの、どう考えても歩きの方が多くなってきました。
こういう所なんだよなー。うーん。しっかり最後まで押し切れるかどうか。
そんな感じで走ったり、歩いたり、歩いたりしているうちに応援の方から「登りはここで終わりだよ!ここからゴールまでは下りだよ!」と声かけが。
ありがたい。ありがたい。
糖質が脂肪の着火剤になって、エネルギーになると読んだことがあるけど、応援やエイドでの会話は間違いなく僕の心の着火剤になっている。
知り合いでも、何でもない通りすがりのランナーである僕に、声を掛けて頂けるのは本当にありがたい。
遠い遠い昔話になりますが、大学時代夢中でやっていたソフトテニスでドツボにハマって勝てない時期を過ごして悩んでいた頃に、他大学の先輩から「試合の時、一人でラケット見つめて悩むんじゃなくて、自分の学校の応援の人を見たら?一人で殻にこもってプレーしているように見える。お前を応援している人はいるんだよ。応援に力をもらうんだよ。お前は一人でやっているんじゃない。応援に力をもらって、お前はその応援に応えるようなプレーをするんだよ」とアドバイスを頂いたことがあります。
その当時は、「技術が」「展開力が」「適応力が」「読みの甘さが」と自分にばかり目がいっていて、それも大切なことではあるのですが、僕が全く考えてもいないようなことを指摘されたので驚きました。
それから、応援の方を見るようになった僕は劇的な変化を遂げて快進撃をしていきました。
それまではソフトテニスに「楽しさ」を見いだせず苦しいだけで、勝つことでその苦しさを正当化するだけだった所に、応援してくれる人への感謝や応援に応えたいという気持ちが生まれ、それがプレーする楽しさに繋がり、自分に足りない技術的・精神的な部分にも少しづつ変化が生じてきました。
それからの僕は、ソフトテニスが心から大好きになっていきました。
あ、僕にとってのスポーツってこういうものだったんだと気づきました。
「楽しさ、感謝」を中心に。
そんな自分を変えてくれたアドバイスを頂いて、20年以上たった今でも、苦しさに飲み込まれて下を向いて視野狭窄に陥り楽しさを見失い、DNFしてしまうこともある。
そういう時にしみじみ思う。楽しむにも「強さ」「感謝する心」が必要なのだと思う。
こういうことを追い込まれた状況でも、ブレずにそう思って、そう行動出来る自分でありたい。
肩を痛めてソフトテニスは30歳で辞めたけど、それから始めたランニングでもそのアドバイスは今も僕を支えてくれている。
これってソフトテニスやランニングだけでなく、人生がそうだよな・・・・。
色々なことを一人で考えながら、最後のオクムの坂を楽しんで走っていき清流エイドへ到着。ここもまさかの貸し切り状態で、感謝感謝の気持ちで補給をしていざ、ゴールへ。
今年の春のウルトラ三部作も、終わる
清流エイドを出ると、最終エイドの鎌北湖エイドに向かって下り坂。
よほどの事がなければ、ゴールへはたどり着けるだろう。
思えば、春のウルトラ連戦で全勝するのは2016年以来、7年ぶりのことだ。
- 2015年:野辺山/〇
- 2016年:野辺山/〇、オクム/〇
- 2017年:富士五湖4LAKES/〇、野辺山/×、オクム/〇、日光/〇
- 2018年:富士五湖4LAKES/〇、野辺山/〇、オクム/〇、日光/貧血でDNS
- 2019年:富士五湖5LAKES/×、野辺山/〇、オクム/〇
- 2020年:大会開催なし
- 2021年:大会開催なし
- 2022年:富士五湖5LAKES/×、野辺山/〇、オクム/〇
- 2023年:富士五湖5LAKES/〇、野辺山/〇、オクム/走行中
暑さでマーライオンになってリタイアした野辺山や、距離の長さと関門のキツさのプレッシャーに精神崩壊を起こしてリタイアした富士五湖。
貧血になって(ヘモグロビン値が10切ってた)、DNSした日光ウルトラ。
完走出来た大会もよく覚えているけど、DNFやDNSだった大会の事もよく覚えている。もしかすると上手くいかなかった時のほうが覚えているかもしれない。
上手くいくこともあれば、上手くいかないこともある。
上手くいかない時にそのことと向き合うことは、自分の弱さを直視することになるので出来ればしたくはないけど、自分の弱さを知らないと、その時の自分より強くなることはないと思っている。
どんな理由があれど、上手くいったことも、上手くいかなかったことも、自分がしたことなのだから。
今年はゴール出来たという意味では、上手くいったけれど、今日のオクムでも当初の予定より歩きが増えたことは否めない。
初めて完走出来て、泣きそうな位うれしかった富士五湖も、本栖湖で一度戦意を喪失しかけた。
野辺山でも、あまりの暑さにメンタル崩壊して脳内がハチャメチャになってしまった。坂満金八先生を脳内で作り出すことに成功していなければ危なかったと思う。
ゴールは出来たけれど、弱音を吐く自分に勝利出来た時もあれば、負けていた時もある。
今年はたまたま、そんな自分に勝った回数が道中で多かっただけなのだ。
また来年も、大好きなあのコースでダメダメな自分と向き合いながら楽しんで走りたいな。
ついに、ラストのエイドである鎌北湖エイドに到着。
補給をして、エイドの方にお礼を言って走り出す。
ついに、大好きなオクムももうすぐ終わりだ。
そして、今年の春のウルトラ三部作が終わる。
ゴール出来るうれしさと、少しの寂しさ。そして最後まで走りきりたいという気持ち。
色んな感情がごっちゃになりながら、ゴールに向かって駆け出した。
感謝だらけのゴール
今日も本当に楽しかった。
体はガタガタだけど、すごく楽しい気持ちだ。この時出せる目いっぱいのスピードで走っていく。感じる風が心地よい。
視界の先に会場が見えてきた。
あそこを曲がれば、ゴールだ。
こうやって、一日「坂やべえ、疲れた」とか言いながら、良い景色を味わい、自分の脳内での妄想(すごくカッコつけて言うと心の中の旅)を楽しんだり、弱い自分と、それに立ち向かう強くあろうとする自分との対峙、応援の方やランナーさん、エイドステーションの方との一瞬のやり取りに元気を頂きながら進んでいくのが、たまらなく楽しい。
ついにゴールが見えてきた。
先にゴールした奥さんが手を振って待っている。それにしても速いね君・・・。
たくさん頂く「おかえり」の声が本当にありがたい。
「やりきった!!ありがとうございました!!」
今年もすごく楽しかったオクム。ありがとうございました。
2023年奥武蔵ウルトラマラソン 最終話「春のウルトラ連戦シリーズ、7年ぶりの全勝!!」完
コメント