GWも変わらずカレンダー通りに勤労を捧げて、いつものコースを通勤ランで帰宅すると野辺山ウルトラマラソンからの挑戦状が届いておりました。
ゼッケンは「完走への片道切符」「招待状」「挑戦状」などと呼んで面白がっておりますが、今回の野辺山のゼッケンは「挑戦状」と「招待状」という意味合いが強いです。
「挑戦状」というニュアンスになったのは、「富士五湖118kmを完走した後の手負いの状態でこの私を倒すことは出来るかな?」という感じに受け取ったこと。
そう受け取ったということは、僕が今の体の状態がどこまで野辺山ウルトラマラソン当日までに上がってくるのか難しい調整を強いられているという証左でもある。
・・・・「証左」って書いてみたかったんです。すみませんw
そんな自分がおバカであることの証左をお示しした所ではありますが、野辺山のゼッケンが届いたので今回の野辺山に向けての思いなどをつらつらと書いていきたいと思います。
灼熱への招待
冒頭で書いた「挑戦状」の他にもうひとつ「招待状」というニュアンスも感じました。
坂への招待、高地への招待、絶景への招待、歓喜、阿鼻叫喚、カオスすべてが渦巻く灼熱への招待。
野辺山への気分は盛り上がっている。
上がっていないのは、体のコンディションだ。
どこか痛いとかはないものの、体の疲れがなかなか取れない。
僕の中で「変態ランナー」とリスペクトを込めて呼ぶ、超ロングやウルトラを平気で連戦する方々に近い人種になりつつあるうちの奥さんも、「初めて富士五湖118kmを走ってからの野辺山はキツかった」とのこと。
どういう風に、野辺山ウルトラマラソンのスタートラインに自分を持って行くか。
ちょっと未経験の難しい調整ですが、困ったら「よく食べて、よく眠る!運動は適度に!」で楽しんでやっていきたいと思います。
「知っている」からこその恐怖と楽しみ
野辺山ウルトラマラソンは7回目。攻略法はいまだにわからないですが、コースは概ね頭に入っています。
これが良いのか、悪いのか。
良い面は、先を知っているので適切なペース配分が出来たりする点。
悪い面は、キツくなった時になまじ先を知っているから諦めてしまいそう(前科あり)。
何でもそうだけど、知ってて良い事と悪い事がある。
知っているからこその恐怖もある。
「あのキツさとまた対峙するのか」と。
知っているからことの楽しみもある。
「あの景色、空気感をまた楽しめる」と。
結局の所、手持ちの情報や記憶をどう扱うかは、自分の心次第。
どうせ体はキツくなる。でも、それをわかってエントリーしたんだし、それを楽しみに行っている部分もある。
ヘロヘロになりながら、景色を眺めて、朝から夕方までランニングだけを楽しむ贅沢な一日。
今から楽しみです。
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