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2025年野辺山ウルトラマラソン振り返り 第一話「波乱の大会直前。万全、絶対、順風満帆・・・そんなものはない」

野辺山ウルトラマラソン
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馬越峠の頂上から下り始め、ついにテーピングと気合いで固めた右脚は崩壊を始めていた。

そこに颯爽と現れ、一言二言話して僕を抜いていく奥さん。

この日脳内でひたすら流れていた脳内BGMは先日レイトショーで観た、劇場版「名探偵コナン 隻眼の残像」主題歌の「TWILIGHT!!!」だった。

どんどん離れていく奥さんを見送りつつ、脳内BGMの替え歌を作りながら僕も馬越峠を下っていく。

行かない行かない行かないで

足りない足りない走力が

止まらない止まらない止まらないで

終わらない終わらないレースはないわ

刹那、走り続けよ

TWILIGHT!!!

終わらないレースもないし、終わらないことなんてない。

なんかそんな当たり前の事が骨身に染みたこの2年間だった。

そう、この日の野辺山ウルトラマラソンを走るまでの2年間は、本当に僕にとって長く辛い、いつ終わりが来るのかわからない家庭のゴタゴタと対峙し、ようやく大会に出れるような状況になったら脚が抜ける、接地が良くわからない、苦しくなると粘れないという謎のラン不調に陥り、挙句に直前に脚を痛めるというなんともエンタメ感満載の、「なんでそうなるの!!」と思わず叫びそうになることばかりだった。

ただ、終わらないレースも、終わらないことなんてないのも事実だけど、付け加えるとするならば、それにどう対峙するか、問題を前に自分がどう在るか、それが大切なのだと思う。

僕は困難に直面してしまった時に、立ち止まり蹲ってしまう弱さがある。

困難に直面した時に、どう対峙するか。どう考えるか。どう取り組むか。

「人生は連続する刹那である」

と最近読んだ本「嫌われる勇気」に書いてあった。

その刹那を真剣に踊り続けた先にゴールがあると。

なんか、このフレーズがすごく好きで。

この日野辺山での一日も、脚がいてえ、暑い、アップダウンの連続攻撃、第二の人格ネガティブこばすけの登場、数々の想定外、阿鼻叫喚、悶絶、妄想と色々な感情を味わった。

色々なことがあった、まさにその刹那。

僕は踊り続けることが出来たのか。

答えは良くわからないけれど、最高の一日を過ごせたと思う。

そんな最高の一日の振り返りを始める前に、話は一年前に遡る。

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幻想を捨てまくった2年間

昨年の4月、家のゴタゴタで、精神的にも身体的にもウルトラへのチャレンジは厳しいと判断しチャレンジ富士五湖、野辺山ウルトラをDNSしますという記事をアップした。

この記事をアップした後も、ゴタゴタの対応で終われる日々だったけど体調の許す限りは走っていた。

正直この時は、自分たちの問題ではないことでここまで巻き込まれて、最悪の場合ランニングどころではなくなる勢いの負債を背負わされるかもしれない恐れもあったので、絶望感と当事者の人に対する怒りで自らの身を焼きつくしてしまうのではないかという感じだった。

そんな中で体調を崩したり、ネガティブになって自暴自棄になりそうになったりしたけど、どうにかこうにか問題を処理していくことで、負債を背負うリスクは回避出来、まだ問題は処理中ではあるものの最悪の事態は回避できた。

でも、当事者の人が全く動かないからこちらで代わって問題の処理をすることは出来ても、その後のことはコントロール出来ない。また同じようなことをしでかすかもしれない。

そう思うと、心が重くて重くて仕方なかった。

この心の重さは、正直今でもないとは言い切れない。

でも、もうこちらでやれることは、ない。

だから、僕も通常通りの日々を過ごしていくこととした。

その中で、ウルトラマラソンに再び挑戦することを昨年の秋に決めた。

ゴタゴタに対応する中で体調を崩したり、走ってはいたけど適当に走っていたツケは大きく、ハーフ、フルどれを取ってもここ数年では最も低調な結果となり、しかも脚が抜けるような感じが看過出来ないレベルにまでなり、2月はどん底の状態まで落ちてしまった。

そんな中で「もうウルトラは少なくとも今年は無理」と思う瞬間も何度となくあったけど、とにかく諦めないこと、放り投げたい自分がいるのも事実だけど、またウルトラを走りたいという自分がいることも事実。

・・・だとすれば、後者の自分を大切にして取り組んでいくこととした。

そうして挑んだチャレンジ富士五湖はDNF

その後、悔しすぎてトレーニングを気合いいれてやったら、右脚故障。

50kmロングジョグを脚に痛みが出た為中断し30kmで終え、電車で帰ることを決意した二宮駅(5月初旬)。

なんか、自分でも本当に性格悪いなと思うのですが、こういう自分に取ってマイナスな出来事があると、「昨年のゴタゴタさえなければ」と何かある度に思ってしまって、すべてそのせいにしてしまって、放り出したくなる。そんな自分が嫌で嫌で仕方ないけど、その思考が止まらないという苦しい時期を過ごしました。

過去形ではなくて、今も弱っていると思ってしまう時があります。

昔読んだ本に「人生は悪しき心のもぐら叩き」と書いてあるのを読みましたが、まさにそんな感じ。

自分の心の羅針盤が気を抜くと悪い方へ向いてしまうので、その度に修正をする、その繰り返しでした。

こういうことで色々思い悩むのも、ありもしない完璧を求めるからなのだと途中で思いました。

万全、完璧、絶対・・・・そんなものは、おそらくない。

家庭のゴタゴタだって、完璧なんて求められない。

他のことだってそう。

思えば、今までだってそう。色々なことがあった。

その度に、放り投げたくなったり、蹲ったりもしたけど、結果的には自分なりに真摯に対応してきた。

そうやって、その瞬間を真剣に生きていくしかない。まさにその刹那を真剣に踊るしかないのだ。

今回、直前に脚をやってしまったが、それも仕方のないこと。起きてしまったことは変えられない。

大切なのは、それにどう対応するかだ。

人生において、完璧、絶対、万全なんてものはない。それは幻想だ。

そう思い、ようやく前を向けたのは大会数日前のこと。

作戦名は「だいたいしとうきんだいじに」

今回の作戦名は「だいたいしとうきんだいじに」。

「こんなにしたことねえよ!」ってレベルのテーピングを両脚にして出走することにした。

いつも愛用しているニューハレのサイトに出ていた情報を参考に、

  • Iテープ30cm:ほうこう筋、大腿四頭筋、ハムストリングス
  • Vテープ:膝
  • ニーダッシュ:腸脛靭帯、ふくらはぎ

こんな感じで行く。もうテーピングまみれだ。これで行くぜ。

痛みとして出ているのは右脚の大腿四頭筋の内側なんだけど、両脚ともに張りが結構あったので、その後は患部と脚全体の回復に努める日々。

前述の「悲しみの二宮駅事件」以降は最長で16km走る位にして、他は通勤ランも往復で7km、完全休養多め、毎日フォームローラーやストレッチで体全体をケアしつつ、野辺山一週間前にはサウナも行き、どうにかこうにか状態を上げてきた。

ぶっちゃけ、状態は良くない。

出ただけで終わるかもしれない。

でも、大好きな野辺山を少しでも走りたい。大会の雰囲気を味わいたい。

それに、万全、完璧なんてない。そんなものは幻想だ。

だったら、行ってみるしかないよね・・・・・。

そんな気持ちで、出走を決意。

いきなりトイレにハマる伝統芸炸裂

当日は深夜0時に会場駐車場入り。

車の中で仮眠して、起きて朝飯食べていたら、あっという間にスタート前の時間に。

念入りに念入りに朝の大きなお花摘みと小さなお花摘みを済ませて、いよいよスタート。

さぁ・・・二年ぶりのスタートだ。

「いってらっしゃーい!!」と盛大に送り出して頂きつつも、静かな気持ちで脚の状態を見積もりながら走りだす。

うん。脚は今の所ご機嫌だ。張りはあるけど、これはもう付き合うしかない。

そんなことを思いつつ、朝の静かな雰囲気を堪能しつつ走っていたら、まさかの尿意。

え、あんなにトイレいったのに!

くうう。おのれ。トイレは時間ロスなんだよなぁ。今日は制限時間との勝負になる可能性が高いのに、しかも野辺山の前半はトイレの混みがエグイ。

・・・なんとか、抑え込めないだろうか。

景色を眺めたり、色々気休めを試みるものの、「トイレへ行ってくださいお願いします」と主張を続ける膀胱。

ええい!仕方ない!と5~6km位の場所にあるトイレに並ぶことに。

結構な時間をロスする中、思っていたことはひとつ。

僕に必要なサプリメントはBCAAとかL-グルタミンとか、塩熱サプリとかではなく、ノコギリヤシなのではないかと。

ようやくトイレに入れて、あんなにスタート前に出してたのに盛大に小を出してようやくスッキリ。

スッキリした気分でトイレを後にして、ようやく僕の2025年野辺山ウルトラマラソンがスタートしたような気がした。

順風満帆なんてない。

序盤戦も序盤戦。脚を気にしてたら、想定外のトイレですよ。

でもね、こういうもんだよ。

何があっても、受け入れますぜ。

その上で、自分がコントロール出来ることに集中していきますぜ。

最初のエイドステーション、JR最高地点を通過し、大好きな林道へ。

2025年野辺山ウルトラマラソン振り返り 第二話「サプライズと自分の資源」に続く。

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