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2026年館山若潮マラソン振り返り 第一話「絶望からのミニマリズム」

館山若潮マラソン
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1/25(日)館山若潮マラソン。

ここで僕は、なんか色々上手くいって3時間20分59秒(手元の時計)と、2022年の横浜マラソン以来の自己ベスト更新が出来た。

楽しかったし、走ることにすごく集中していて、笑ったり、景色楽しんだり、応援に答えたり、いつものように走っているんだけど、なんか脳の奥は静かというか、あっという間に数km走っているような感覚になる、そんな不思議な時間帯もあった。

そんな不思議な、満たされた時間も長くは続かず、後半の12kmはすさまじい自分とのせめぎ合いとなった。

その中で感じたことや考えていたことを振り返りとして書いていきたい。

でも、当日を振り返る前に、一年前の館山若潮マラソンの話から始めたい。

一年前、僕はゴールする時に初めて首を横に振りながらゴールしてしまった。

この日がなければ、この一年後の2026年1月25日に充実感と共にゴールすることもなかったと思うから。

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1年前の館山若潮マラソン

2025年に頂いた完走メダル

一年前の館山若潮マラソンは、ハーフ過ぎで完全に脚が止まり、気持ちも折れてしまい、そこからは歩いたり走ったりを繰り返してどうにかゴール。

タイムはここ数年で一番低調なものだった。

当時は私生活の方で色々あって、そのストレスなのか何なのか、何故かキツくなると粘れない、脚に力が入らない、気持ちも持たない、と「ないないずくし」の状態の長いトンネルの中にいた。

それでもジョグは日々の運動不足解消やストレス解消の為に続けていたけど、ジョグですら途中で止まってしまう体たらくだった。

そんな中で出た館山若潮マラソンで、今の現状というのを「これでもか」と突き付けられた。

思うように走れない、走力が劣化している、そんなことより何よりも辛かったのがレース中、何も楽しくなかったことだった。

これは僕にとって初めてのことで、自己ベスト更新でなくとも、上手くいかなくとも、どの大会も結局ゴールすれば「楽しかった」となっていたのに、2025年の館山若潮マラソンは楽しめなかった。

この事実が何よりもショックだった。

不全感の正体

大会後、時間が経過しても心に残るなんとも言えない不全感。

当時は「大会を楽しめなかったこと」「走力が落ちていることを事実として突き付けられたこと」が不全感の原因かなと思っていた。

でも、色々当時の心情をブログに書いてみたり、内省する中で不全感の正体は、「一番走れていた2022~2023年の自分を追いかけている」ということだった。

当時はフルマラソンもハーフもウルトラマラソンも自己ベストで走れ、長年の目標だった富士五湖118kmも完走出来て、すごく走れるようになってきていると実感が湧く時期だった。

その後に色々あって走力が落ちてきていたけど、

「そんなはずない」

「このペースで走れていたんだから」

「この距離踏めていたんだから」

「当時の設定で走れれば、当時のように走れるようになるはずだ」

そんなことを考えて、ずっと2023年あたりの自分を思い出して、追いかけている。

そして、出来ない。

「他人と比較することは、不幸になる一番の方法だ。」

などというけど、過去の自分と比べるのも、不幸になるのかもしれない。いや、不幸になる。

あぁ、俺が楽しくないのは、過去の自分を追いかけているからか・・・・

不全感の正体に気付いたのは、2025年の館山若潮マラソンが終わって数か月後の5月の野辺山ウルトラマラソンの直前だった。

今を生きる・・・じゃなくて走る

なんとかゴールで来た野辺山ウルトラマラソン。

そんな中で出た野辺山ウルトラマラソンは、直前に脚を痛めてボロボロだったけど、不全感の正体に気付いて、過去の自分との比較を止めて、今の自分で出来ることをやろうというスタンスで走り、走る楽しさを取り戻せた気がした。

野辺山の疲労が抜けた6月からは、劣化した走力を叩き上げる方向性で取り組んだ。

でも、2023年の頃の自分を目指す、当時の設定を追うのではなく、あくまで今の自分にとって必要な負荷を加えるという考え方にシフトした。

ペースがそんなに速くなくても呼吸が弾めば、今の自分に必要な刺激は入ったと解釈した。

距離が満足に踏めなくても、自分がそれなりに疲れていれば、必要な刺激は入ったと解釈した。

時計はつけて走るが、あくまで走った後にデータと自分の感覚との擦り合わせで使うのみで、走っている時にペースを確認するという目的で見るのはやめることにした。

そうやって、ペース設定するのではなく感覚でやる方向性にシフトしていって、過去の自分との比較を止めて走っていくうちに、走る楽しさを取り戻してきたような感じになってきた。

これは、今後ランニングという趣味を続けていく中で大事にしたい考えだなと思った。

というのも、人間は加齢するし、その中で走力の低下は逃れることが出来ないからだ。

そうでなくても、生きてれば色々ある。その中でランニングの優先順位が下がることもあるだろうし、体調的に難しい時だってあるだろう。

その中で走れていた自分と比較しても何も楽しくなかった。ただただ苦しいだけだった。

だから、そういう過去の自分と比較するとかどうではなく、今の自分で走る・・・という感じ。

目標タイムという考えも止めた。

「走りたいタイムと走れるタイムは違う」

ということ。

特に僕は道楽ランナーなので、いついかなる時も設定通り走って・・・というノリでなくていい。目標タイムもなくていい。

「速く」走る日は、その日なりの「速く」で。

「長く」走る日も、その日なりの「長く」で。

疲れていたら無理しないで休むし、とにかく自分の感覚を大切にするようにした。

トレーニングも、大会もその日なりのベストを尽くせばいい。

体調がアレとか、調子がアレとか、気象条件がアレな時は、その日なりのベストを尽くせばいい。

そんな感じで取り組んでいたら、館山若潮マラソン前の流山ロードレース丹沢湖マラソンと過去最速で走れるようになっていた。

その事実が「館山若潮マラソンで自己ベストを狙いたい」という欲をムクムクと膨らませてきた。

でも、その度に「感覚で、その時のベストを尽くそう。そうやってここまで来たじゃないか」と自分に言い聞かせた。

いざ、大会会場入り

そんな気持ちで当日を迎え、4時に自宅を出て館山へ。

少し駐車場で仮眠して、8時過ぎに会場へ。

風もそれなりに吹いているし、結構寒い。

まぁでも、感覚で走るので目標タイムはない。

強いていえば「この日42km走り切れそうな上限のペースで押していく」。これが目標。

・・・なんか、考え方や取り組み方をシンプルにしただけなんだけどスタート前から随分気楽な感じだった。

以前は、スタート前となると「〇km地点に○○/kmで行くと○○分で・・・」とシミュレーションして、その通り走れるかどうかで頭がいっぱいになっていた。

頭に、良い感じで余白がある。

そんな感じでトイレや荷物預けを済ませて、あっという間に整列の時間。

この日はBブロック。

一年ぶりのフルマラソン。今シーズンはこの日だけ。一本勝負。

大会を楽しみつつ、どれだけ自分の感覚に集中出来るか。

自分の欲求(速く走りたい、休みたい)をどれだけマネジメントできるか。

そんなワクワクした気持ちで、半年間準備し続けてきた館山若潮マラソンがいよいよスタートした。

2026年館山若潮マラソン振り返り 第二話「前半戦。激坂頂点で知った事実」に続く。

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