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2025年館山若潮マラソン奮闘記 後編「現状の受け入れとこれから」

館山若潮マラソン
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怪しい予兆は出てきたものの、昨年歩きが入ってしまった21km地点南房パラダイスを通過。

しかし、ハーフ地点でこの感じ。

粘って動かし続けるしかない・・・・

そんな気持ちで、前へ、前へと進んで行く館山若潮マラソン後半戦。

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禅問答ロードの始まり

どうにか粘っていたものの、どうにも体が重く、言うことを聞かない体。

右ハムの痙攣、ふくらはぎの痙攣、背中の張りと色々と出てきた。

フルマラソンを走っている時特有の筋疲労から来る脚の痛みも出てきた。

「故障ではない。走れる。粘れ。」

そう思う自分と、

「ほら、やっぱり。ポイント練でもそうだったし、本当去年の一件から俺の走力はガタ落ちなんだよ」

と、耳元で囁く自分がいました。

またすべてのことを去年の家庭問題のせいにしている嫌な自分が現れた。最近出ていなかったのにな。

しかも、弱っている自分はそれに耳を貸してしまった。

そうだよなぁ・・・。

本当あれのせいで去年は富士五湖も出れない、野辺山も出れない、一時は体調不良でまともに走れなくなった。今だってどうにかここまでトレーニングしてきたけど、あの一件以降トレーニングでも大会でもキツくなってから全く粘れない。しかもどこか故障しているとかなら理解出来る。でもどこも故障していない。体調も問題ない。

・・・・なんでなんだ。

ぜんぶ、ぜんぶ、あの一件のせいだ。

そんな風に思った瞬間、体がさらにいう事を聞かなくなり、ついには歩きだしてしまった。

長い長い、自問自答の時間が始まりました。

捨てると決めたもの

26km地点でトボトボ歩いていたら、奥さんに抜かれ声かけされるも適当な返事。

後から奥さんからは「リタイアするかもな・・・」と思ったくらい僕の表情は終わっていたらしい。

その時の僕はというと、止めたいとは思ったものの、ここで止めたらもう二度と大会に出ないかもしれないと思っていた。理由はないけど、なんかそんな気がした。

そこから、その時の自分に出来るペースで、ひたすら前に進んで行った。

「あーあ。走るのは楽しいんだけど、タイムや距離で自分に挑戦するのは今の自分には厳しいな」

「せっかくお金払ってエントリーして、ここまで来たのに、この体たらく。」

色々自分に悪態ついていたら、ついに今まで抑えていた感情まで噴き出してきてしまいました。

「なんか・・・・何も楽しくない。」

なぜ楽しくないのか。ここが大事だ。

普段、適当に走るのは気分がすっきりするし、楽しい。

今、何故楽しくないのか。

色々考えたけど、結局、例の一件の前、ようやくフルマラソンで自分の思ったように走れるようになったり、ウルトラマラソンもようやく12時間台で走れるようになってきた。それまで10年以上かけて作り上げてきたものが、例の一件で体調を崩して、それから原因はわからないけど全然走れなくなってしまった。キツくなってから、粘れない。

その状況に対して、「こんなはずじゃない」ともがいている。

「なんでなんだ」と考え続けている。

そう思いながら、走れるようになってきた頃の自分の走力、タイムに執着している。

そんな風に思いながら走ってたら、楽しい訳なんかない。

多分、こんな感じになった原因はストレスだと思う。

例の一件はまだすべてが片付いた訳ではない。それから来るストレスが原因なんだろうけど、一番の問題はこういう一連の走力低下問題をすべてそのせいにして、前向きになれずに蹲っている自分。

この自分だけは、どうにかしないと。

でも、どうしたらいいのか。

過去に原因を求めるのではなく、これからどうあるか。それを考え行動していくことが重要。

・・・それはわかっている。

去年から今日まで、何度も、何度も、自分にそう言い聞かせたが、どうしてもこういう場面になると前向きになれない自分が出てきてしまう。

ただ、それも自分だ。

そういうダメな自分も自分だし、、、、そう考えると、こうやって走れない自分も自分なのだ。

今回、3時間半切りに挑戦した理由は「今の自分の力を知りたいから」。

そうだとしたら、今の自分は3時間半は切れない。今日、こうなっているのが今の自分だ。

過去にフルで3時間半を切れた、ハーフで90分切れた、ウルトラを12時間ちょいで走れた自分は、もういない。

ないものを探しても、ない。

そんな自分は、忘れるしかない。捨てないと、新しい自分は入ってこない。

過去の自分のベストタイムとか、そんなものは捨てる。ここから新しい自分を作るんだ。

長い長い禅問答の果てに、ようやく前向きな答えが出てきた。

そんな頃には、ラスト9kmの海岸線に出ていた。

これから、どうするか。

これは2024年大会のやつ。今年はキツすぎて写真撮れませんでした・・・(;^_^A

館山若潮マラソンで大好きな景色のひとつで、ラストの海岸線に戻ってくる時のT字路(上記画像)。

ここを見て、禅問答でも前向きな答えも出てきたのも束の間、今度はすげえ風。

脚の痙攣、なんか気力出ない、心の複雑骨折、そして向かい風。

そんな猛烈逆風コンボは、まるで僕の2024年のよう。

あれだけ大好きだった館山若潮マラソンのコースは、これでもかと僕を地獄へ追いやる拷問コースと化していた・・・・。

でもさ、結局こういうのって、自分の心持ち次第な所があって。

同じ道を走っていても、全然自分の心持ちで違ったことを感じる。

今日の僕のように、「なんでこうなんだ」「キツい」「やめたい」「楽しくない」などと思っていれば地獄となるし、逆に「楽しい!」「もっとスピードあげてえ」「もっと走りたい」「景色最高!」「食い物最高!」となっていれば、何km走っていようと天候がどうであろうと楽しい。

ミスチルの歌で「心さえ乾いてなければ、どんな景色も宝石に変わる」ってフレーズがあったけど、僕の心は乾きまくりだったのだろう。

・・・40km通過。

長かった苦悶の道も終わりが見えてきた。

こんなにネガティブオーラ出まくりの僕にも色々な方ががんばれと言ってくれた。

風は強かったけど、館山の景色は相変わらず良かったし、エイドでも助けてもらってばかりだ。

・・・・なのに、40kmも走ってきて、一人の世界に閉じこもって、前半はやれ3時間半切りだと意気込んで、後半は昨年から何度もやっている禅問答。全く楽しんでない。こんなことするなら近所の公園で一人で42kmタイムアタックでもしてればいいんだ。

館山まで来て、何をやっているんだオレ。

こんなことをずっと昨年から繰り返している。生きることも、ランニングも。

このままのメンタリティで生きていたら、自分で勝手に作り出した地獄で苦しむことになる。

今の走力を受け入れることもそうだけど、今の自分の状況も受け入れないと、先へ進めない。

コントロール出来ることと出来ないことを見分ける知性とコントロール出来ることにのみ注力出来る勇気が欲しい。

過去でも未来でもなく、今に集中して生きていきたい。

それが出来ないなら、きっと同じことを繰り返すことになるだろう。

いきなりそんな自分に変わることは難しいと思う。でも、少しでもそっちの方向へ進んでいくようにしていきたい。

・・・それはさておき、僕は春のウルトラマラソン、走れるのだろうか?

いや、そもそも走りたいのだろうか?

なんかそんなことまでわからなくなってしまった。

こんな気持ちで走って、こんな残念な気持ちでゴールするのは初めてかもしれない。

そんな感じで、過去最高にカッコ悪いゴールをしたのでありました・・・・。

エピローグ

ゴール後は奥さんに心配されつつ、帰路に。

なんか僕のせいで、車内も大会後の「楽しかったね」的な雰囲気はなく、若干重い雰囲気。本当に申し訳ない。

帰り道でサウナに寄り道して、水風呂とサウナ、外気浴を4セットもしていたら、色々気持ちが整理されてきた。

正直な所、今、ウルトラマラソンに挑戦出来るのかは精神面、能力面ともに厳しい。

また走っている時に今日のような精神状態になるのが怖い。

走力はこの日でかなり落ちていることが事実としてわかった。

でも、そういう自分の状況と走力を受け入れて、挑戦してみようと思う。

ゴールできるかどうかじゃなく、

タイムがどうだったとかじゃなく、

僕は、ただ「あー楽しかった!」と言って終わりたい。

そう言える自分になるには、覚悟が必要だ。

こんな自分を受け入れる覚悟。現状の走力を受け入れる覚悟。準備をやりきる覚悟。当日何があっても揺るがぬ覚悟。

人生も「あー楽しかった!」と言って終わるには、同じように覚悟が要るのかもしれない。

過去の自分のベストタイムや起こったことは一旦忘れる。思い出す日もあるだろうけど、忘れる。

過去がどうとか、問題がどうとか、もうとにかく忘れる。

すべて忘れて、手放して、今を生きる、今を走る、そんな覚悟が必要だ。

真っ裸で外気浴をしつつ夜空を眺めながら、そんなことを思った。

上手くいくかはわからないけど、下向いてウジウジ生きるのは嫌だ。

出来ることなら、前のめりがいい。

2025年館山若潮マラソン奮闘記 後編「現状の受け入れとこれから」完

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