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ランニングを始めたきっかけとこれまで

ランニング
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もうかれこれ走り始めて、11年となりました。

走力向上という面ではかなり歩みはゆっくりですが自分のペースで、自分の好きな所で、好きなだけできるランニングというものに出会えて幸せだと思っています。

そんな僕の走り始めたきっかけから、これまでをざざっと振り返ります。

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走り始めたきっかけ

元々中学、高校、大学、社会人とソフトテニスをやっていました。

富士通に所属する塩尻和也選手(走りが超かっこいい)もソフトテニスしてたと何かで知って勝手にテンション上がったことがありました(;^_^A

ちょっと話それましたが、社会人までやってきていたのですが大学の頃から肩がおかしくなってきていて、社会人の時はもうかなり痛くて仕事に支障をきたすレベルでした。

整形外科に相談した所、このまま保存療法では厳しいとかなんとか言われました。

ソフトテニスしたいなら手術ってことですかそうですか。

結構悩みました・・・・・悩みましたがプロでもないし道楽としてやっているだけなので手術までして続けるほどのモチベーションもないし、正直言ってもうずっと続けてきて伸びしろもあまり感じず、どちらかと言うと自分の技術面の衰えから「昔はもっと出来たのに・・・」という心の声を飲み込みながらやっていることにもうそろそろ潮時かなと思っていたので、思い切ってスパっとやめることにしました。

それから運動から遠ざかること数か月。

運動不足だと太るんです。

基本的にずっと何かしらの運動をしてきたので何か運動をしないと調子が悪くなるんです。

そんな時、ふとランニングなら今持っているテニスウェアとテニスシューズがあれば別に何も買わなくても走れるし、道路があればどこでも走れるし、相手がいなくても一人で走れるしすげー気軽に始めれるじゃん!

と、内なる声が聞こえ、走り始めました。

松戸七草マラソンに参加

走り始めたと言っても、ペースもわからない(そもそも適正ペースとかも知らないし、適正ペースという言葉を知らない)ので、当時千葉の松戸市に住んでいたのですが自宅から国道6号線を適当に走って岩瀬の信号で折り返して帰ってくるとかそんな感じ。

自分が何キロ走っているかもよくわからず走っていました(;^_^A

しかも何故かラストは毎回ダッシュしてました(何故?)

そんなのを週に2回位。

そんな中で当時2012年に住んでいる松戸市で「松戸七草マラソン」という大会があるということを知り即エントリー。10kmだしやれるでしょ。みたいな感じで。

大会では最後歩くは、長すぎて死にそうになるは悲惨なものでしたがすごい楽しかったんです。

今までやってきていたソフトテニスだとポイントを取り合い相手を倒すスポーツで、きっとランニングも競技としてやっている人であれば同じなんでしょうけど、ランニングは相手と正対せず同じ方向を向いて同じゴールに向かって走って行くんだなぁというのが走り終えた後に思ったことでした。

しかも順位とか忘れましたが、ゴール出来ただけでとてもうれしかった。

それが僕にとってすごい新鮮な感覚で、今でも鮮明に覚えています。

この時に、応援に来ていた奥さんが「私もやってみたい」と走り始めてそこからまさかこんなに続く趣味になるとは・・・・・。

何がきっかけで人生変わるかわからないものです。

大会に出ては返り討ちに合う日々

松戸七草マラソンの後はすぐに、「10km走ったんだからハーフマラソンだ」とエントリーして走り腸脛靭帯炎に。

ゴールは出来たものの、脚がずっと痛くて大会の後もしばらく走れませんでした。

脚が痛い中で、千葉県で第1回大会となる「ちばアクアラインマラソン」が開催されることを知りエントリー。

抽選外れて、残念と思っていたら二次抽選で当選し出走することに。

この大会は35km位の所でリタイアとなります(;^_^A

もうね、全身痛くて無理でした。奥さんは完走するんですが。

この頃から、奥さんの粘り強さは出ていたんですね(今現在富士五湖118km3回完走、12時間耐久レースも入賞してるバケモノです)。

返り討ちに合い過ぎて、色々調べ始める

ちばアクアラインマラソンで完走出来なかったことはかなり悔しい出来事だったので、そこから色々調べ始め、書籍を数冊読み込んで走り方や練習の組み立て方や考え方を学んで実践していきます。

この頃GPSウォッチや、ランニングシューズもしっかり選んで購入するようになりました。

この頃に僕のラン人生を大きく変える2冊の書籍と出会います。

「非常識マラソンメソッド」

非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバ嬢がたった9カ月で3時間 (SB新書) [ 岩本能史 ]

と、

「BORN TO RUN」に出会います。

Born to run走るために生まれた ウルトラランナーvs人類最強の“走る民族” [ クリストファー・マクドゥーガル ]

それらの本で言及されていたことを実践し、シューズを薄底系に変えたり、ワラーチで走ってたり、足柄峠行ったり、ビルドアップ走したり、裸足で走ってみたり色々やってみました。

ゆっくり長く走ることを多くしてから、長距離に対するネガティブな体の反応が少なくなってきているような手ごたえもこの辺で感じ始めていました。

そしてようやく、2013年の湘南国際マラソンで、初めてフルマラソンを完走します。

4時間切り、達成!・・・・しかし!?

そしてついに2014年のつくばマラソンで4時間切りを達成します。

ゴールした後は全身攣って大変でした。

この時奥さんも同じく4時間切りを達成するのですがお互いの感想が「結果はうれしいんだけど余裕がなくて辛かった」との感想。

そんな感じだったのでこの後すぐに「よし!次は3時間30分切りだ!!」とはなりませんでした。

でも、走ることは楽しくて週に4回位はコンスタントに走りランニングが完全に生活に溶け込んでいる状況でした。

ある日、奥さんがとんでもないことを言い始めます。

ウルトラマラソンへの挑戦

2015年のある日、奥さんがとんでもないことを言い出します。

「ねぇ。ウルトラマラソンやろうよ」

は!?バカなの?死ぬの?あんたバカぁ?

ありとあらゆるクエスチョンをぶつけましたが、やりたそうな奥さん。

僕も悪態付きつつも、ランネットを開きまんざらでもない様子。

この時の気持ちを覚えていますが、なんか胸が高鳴ったのを覚えています。

そして、自宅から比較的近くて宿泊もしなくてよくて、話を始めたその日にエントリー出来る大会という条件に合う大会は、

「野辺山ウルトラマラソン」

という大会でした。

週末の度にエントリーしたことを後悔する日々

エントリーした2015年野辺山ウルトラマラソンに向けてトレーニングを開始しましたが、それまでフルマラソンまでの距離しか経験してないのに月1で週末60km走。

自宅から小田原まで走っていって、折り返して帰ってきたり(帰りは歩き倒し)、

横須賀まで行って折り返して帰ってきたり(帰りは半泣き)、

週末の度に「こんなに苦しいのなら、ウルトラなど走らぬ!!」と聖帝サウザー様ばりに叫んでやりたい衝動を抑えながらトレーニングに励みました。

そんなこんなですが、なんとかやって怖さ8割、楽しみ2割で当日を迎えます。

とんでもない経験をした、野辺山ウルトラマラソン

この初ウルトラの野辺山ウルトラマラソン。

スタートしてすぐの林道トレイルで死にかけ、稲子湯後の登りで死にかけ、八峰の湯で逃亡したくなり、滝見の湯で解脱しかけ、馬越峠で極度の疲労で見る景色はすべて美しいということと食べるものは何でも美味しいということを知り、なんとかかんとか制限時間の3分前にゴール出来ました。

こうやってダイジェストで書けば3行なのですが、とんでもない経験というのはゴールまでの数100mの所です。

すごい人がいるんです。応援の人、先にゴールした人、いる人すべての方から「おめでとう」「お疲れ」「おかえり」と声をかけてもらい柄にもなく少し泣いてしまいました。

制限時間まで後3分。時刻にして18時57分。もう辺りは暗くなっている中でライトアップされているゴールゲートは僕が今まで見た中で一番見たかった景色と言っても過言ではない景色でした。

2022年の野辺山ウルトラマラソンのレースレポはこちらです。

そして今に至る

そこから、ウルトラマラソンに魅せられ、ウルトラマラソンをやったことでフルマラソンの楽しさやハーフマラソン、10km、5kmの大会の楽しさも再発見出来、様々な大会に挑戦していきます。

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン、奥武蔵ウルトラマラソン、日光ウルトラマラソン、ひらつか夢リレー12時間個人、8時間耐久レース、湘南国際マラソン、古河はなももマラソン、かすみがうらマラソン、丹沢湖ハーフマラソンなどなど。

その間には貧血になったり、故障したり、色々ありましたがランニングを通じて色々新しいことに挑戦出来たり、知ることが出来たりしてとても楽しく過ごせています。

そして今現在は、フルマラソン3時間15分切り、100kmウルトラマラソン13時間切りを目指して走っております。

今月5/22(日)は僕の運命を変えた野辺山ウルトラマラソンです。

大会中止になった時以外は全て参加しております。

今回久しぶりに走れそうなのでしっかり準備をして、楽しんできたいと思います。

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