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空気を読んだ後、どうするか?

僕が思う事
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よく「空気を読め」とかいう言葉を聞くことがある。

空気が読めない人は、「KY」とか言われ揶揄されていたりもした。

この「空気を読む」ということ。

集団で生きていくには、あるいは人心掌握の術としては、必要なスキルなのかもしれない。

営業の仕事をしている頃は、「顧客の仕草、言葉の隅々から、本意を読み取れ!!」などと数字が行かない営業が叱責されているのを何度も見た。

僕自身、空気を読むことは、生きていく上で必須のスキルなのではないかと思っている時期があった。

しかし、最近はそうは思わなくなっている。

むしろ、空気を読んだ後、どうするか?が重要だと思っている。

多かれ少なかれ、「空気を読む」という行動は空気を読んだ対象の思いに合わせることになる。

思いを合わせた結果、自分にとってもそれが良い選択になることもあるだろう。

しかし、空気を読んで合わせることが、自分の思いとは全く違う選択になることもある。

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「空気を読む」ということ

「空気を読む」という行為は、端的に言ってしまえば相手の望みや希望、思っている事を読んで言われずとも、それを叶えていく行為だと思う。

営業などでは、おそらくあると重宝するスキルのひとつだろう。

この「空気を読む」ということについて、僕は随分と悩んできた。

空気が読めない、という訳ではない。

むしろ、相手が望んでいることと自分のしたいこと、やりたいことのギャップがあることに気づいて悩むことが多かったように思う。

なんとなく感じる周囲の思い、規範意識、家族の思い、普通こうだよねという同調圧力・・・・。

わかった上で「俺はこうだから!!」という豪快さは僕にはなく、かといって読んだ上でする行動に割り切った気持ちも持てず、モヤモヤと生きている時がありました。

ある時に自分の生き方を見直すような出来事があり、そこからは空気を読んだ上での行動ではなく自分の思いを大切に行動するようになった。

以前と比べて、断る回数も増えたし、自分はこうしたいと言えるようになったと思う。

変な人になろう

人に合わせず、空気を読まないような行動をしていると、「変わっている」とか言われてしまうことが時々ある。

でも、空気を読んで、それに合わせて自分ではない誰かの望むように行動して生きていくのは御免だ。

そんなことを続けていくと、自分の人生のはずが、他人の人生を生きることになってしまう。

「変わっている」と言われてもいい。

自分の人生を生きた結果、「変な人」と言われるのならば、最早それは誉め言葉だ。

思いきって変な人になりたいと思う。

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