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「出来てしまう問題」にまたしても直面。

僕が思う事
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ここ最近、ランニングでクッション性のあるシューズに頼りすぎていたのか走りの感覚がおかしくなってしまい、クッション性の全くないシューズで走っておかしくなってしまった感覚を取り戻すことをしている。

こういった事案は過去に何度もあって、高性能なランニングシューズを否定する気は毛頭ないんだけど、いくら100km走れた、フルマラソンで自己ベストが出たと言っても、所詮高性能なシューズにかなり支えられて出来ていることなんだよなぁと思う。

もちろん、高性能なシューズさえあれば良いというものではなく、それなりに準備は必要ですが。

でもでも、クッション性の全くないシューズで走ると、かなり短い距離で筋肉にダメージが来てしまう事実を目の前にするとやっぱり、高性能なシューズのおかげで走れていたんだよなぁと僕は思う。

僕はこういうことを「出来てしまう問題」と呼んでいる。

この問題は、ランニングだけに限らないと思う。今色々見聞きしたり、時々自分が陥る軽い心身の不調もこれが原因であることも多い。

現代はすごく便利になった。

計算だって、パソコンや電卓があれば速攻で出来るし、

移動だって、車や飛行機で超高速移動。

スマホですぐに誰かと連絡取れるし、暇つぶしだって簡単に出来る。

記憶だって、スマホやパソコンがしてくれる。

電気のおかげで、夜も活動出来るようになった。

様々なことをアウトソージング出来るようになった。

・・・めちゃくちゃ便利。便利すぎる。

でも、これにおんぶにだっこだと「出来てしまう問題」が発生する。

以前ほど、暗算が出来なくなった。なんか自分の能力が下がってる気がする。

スマホ依存症、SNS依存症、不眠、うつ、体を動かさないことによる心身の不調・・・・・

「出来てしまう問題」は挙げだせばキリがない位ある。

色々便利になって、色々出来てしまうこと、そしてそれらを自らしなくなったが故に発生する「出来てしまう問題」。

今後もどんどん暮らしや生きていくことについて便利なモノ・コトは増えていくと思う。でもそれと同時に新たな問題も出てくると思う。

だからと言って、すべてのそういうモノ・コトを手放して、拒否して生きていくというのも早計だとも思う。

要は、距離の取り方が大切なのだと思う。

超個人的な見解だけど、何か心身の不調がある時は「出来てしまう問題」が原因の大半を占めている時が多いように感じる。不調の対症療法も大切だけど、それでは終わりのないもぐら叩き状態になってしまう。

もっと根本的に解決するには、便利すぎるモノ・コトと距離を取って、徹底的にアナログ、ローテクを追求していくと良い。

そうすると、ぎこちなくても、時間が掛かって効率的でなくても、「自分の力で出来た」「絶対ないとダメだと思っていた○○がなくても出来た」という事実や自らの力で取り組んだことが自分を「出来てしまう問題」から解放してくれるようになる。

そうすると、そういうモノやコトと適切な距離を保ちながら生きていくことが出来るようになる。

そんな小さな積み重ねが日々を豊かにしていくのではないか。

最近そんなことを考えている。

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