先日、12年乗ってきた自転車がいよいよダメになってきた為買い換えました。
自転車購入の際にお店の人から色々勧められるお話しを聞きながらふと思ったことがあって、考えてみると「これって何にでも当てはまるし、どこで折り合いをつけるかの問題だよなぁ」と思いました。折り合いをつけるポイントも人それぞれだと思う。
それは、「安心する為に払うコスト」について。
自転車を購入する際に驚いた。
- サドルを盗まれないようにするコードのようなものをつけるオプション
- 盗まれた際に次の自転車を何%オフで購入できる保証プラン
- パンクしにくくなる為のオプション
- 修理の際にお得になるメンテナンスパックみたいなもの
全部付けると5000円以上になったと記憶している。
前提として、こういうのを否定している訳ではありません。
確かに、サドルを盗まれるかもしれない。チャリンコ盗まれるかもしれない。
乗っていればパンクもいつかするだろう。
その時に修理代が不安だ・・・。
こういう不安な気持ちを安心な気持ちに変えるためにこういうサービスがあるのだろう。
でも、僕は瞬間的に「いらない」と判断しお断りしました。
どれも存在するリスクだと思うけど、それに対して払う金額がデカいように感じたから。
そして何より、こういう不安な気持ちに払うコストはバカにならない。
そんなことを思いつつも、自分も随分不安な気持ちにコストを払っているような気がする。
生命保険、脚が痛い訳でもないのに予防の意味で大会でするテーピング、貧血は治ったのに念の為飲んでいる鉄のサプリメント、などなど。
なんというか、「念の為」「安心の為」「不安感軽減」「いざという時の備え」という名目のもとにものすごい数のサービスの数や事があるなぁといつも思っていて、それが悪いと言っている訳ではないし、それのおかげで助かることも、事実ある(実際ありました)。
ただ、これらの名目で何でもかんでも「不安」「不安」と備えていくと、精神的にも金銭的にもかなりの負担になってしまうと思う。
だから、どこまでを備えて、どこまでは備えないというラインを設けることが大切なのではないかと思う。
突っ込んだ言い方をすると、何かと不安を煽り、「~をすれば(買えば)安心安全ですよ」とありとあらゆる広告、報道、テレビなどが勧めてくる世の中。
その通りに踊らされて、過大なコストを支払い今が立ち行かない、常に何か不安を抱え込んでいるという状態は、僕は嫌だ。
金銭的にも、精神的にも「安心に払うコスト」はバカに出来ない位大きくなり、いつか起こるかもしれないことに備えることで今が圧迫されるなんてこともある。
そういう煽ってくるメディア、情報、自分の気持ち、色々なものと適切に距離を取って自分なりに折り合いをつけながらやっていくようにしていきたい。
どこまで備えて、どこまで備えないか。
出来る限り身軽に生きていきたい。
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