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休むことは難しい

僕が思う事
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好きなランニングをしていても、仕事をしていても、何をしていても休養は必要だ。

頭ではわかっているのですが、どうしても休養は疎かになってやることにのめり込んでいってしまう。

睡眠だって、脳的には記憶や学習したことを整理する時間になっているようだし、ストレスも寝ている時間で過去のものとして整理されていくと本で読んだことがある。

そう考えると、「何もしていない時間」と捉えられがちな休養や睡眠というのは、とても重要な時間なのではないかと考えております。

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「やらないよりやった方が良い」という呪い

「やらないよりやったほうが良い」

「努力は裏切らない」

とか、目に見えて、もしくは実感を持って積みあがる「やったこと」は賛美されるが、何もしていない「無為」の時間である休養は賛美されることが少ない、いや、ないと言ってもいいのではないかと思う。

僕もつい、この思考に囚われてしまう時があって、だいたいそういう時は良い結果が出せていない。

逆に、休養をしっかり取って、自分では「不眠不休で、それは言い過ぎだけどめちゃくちゃがんばりました!」感がない時の方が良い結果が出ているように思います。

ゆとりや空白が生み出すもの

休養と言われる、ゆとりや空白の時間が生み出しているものは何だろうと考えてみると、結果が出る時の方程式のひとつの要素なのだろうなと思いました。

※僕が思う良い結果が出る時の方程式:積み上げたもの×休息×情熱=良い結果

掛け算なので「0」が入ると、あるひとつの要素が突出してプラスでも、途端に「0」になってしまう。

休息が疎かになると、体の疲労の回復も追いつかず、疲労困憊状態になる。疲労困憊状態の脳の状態では記憶や学習したことの整理やストレス面の整理も上手くいかなくなる。

これは大きなマイナスだ。

どれだけ積み上げようが、情熱があろうが、休養が「0」ならば「0」になるのだから。

積み上げるものと情熱は、割とフォーカスされるけど、休養ってあまりフォーカスされていない気がする。

少なくとも僕は、あまりフォーカスしてこなかった。

休養の重要性を理解し始めたのは、30歳位の頃から。理解し始めても、休養を軽んじて失敗している時がある。

趣味で、仕事で、家庭で、何をするにも休養は重要だ。

気合いの入ったおっさんであると同時に、休養で思い切りリラックスして、大切な時に力を存分に発揮できるおっさんになりたい。

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