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年賀状について考えたら、色んなことを考えてしまった話

僕が思う事
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年賀状、年末年始の風物詩。

特に思考停止で「出すもの」として出してきておりましたが、去年に一つ大きな決断をしました。

友人・会社関係の方には年賀状を出さないということにしました。

特にそれ自体は大きな決断ではないものの、一度始めたことを止めるのって大変だなと思ったり、人間関係や色々な事を思ったので書き残しておきたいと思います。

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一つの決断。人間関係について考えた。

年賀状。

もう何年も会っていない学生時代の友人や、前職の同僚等。

そういった方々に、去年出した年賀状に「年賀状での挨拶は今年で終わりにするで候(意訳)」と書きました。

と、いうのも、

年賀状で、「いつか会おう」などと書いていて、そのいつかはおそらく来ないであろうことはわかっているし、僕もそれを残念と思っていない所もあります。

仮に、年賀状を出さないということで気を悪くする方や、今後関係性が切れてしまったならば、それはそれで仕方がないと思うのです。

過去に繋がっていた人と会わなくなる、もしくは疎遠になる。

この現象って、今僕が生きている時間軸にその方が登場してこないだけのことだと僕は思っております。

反対に、相手の今生きている時間軸に僕が登場していないとも言えます。

その人と人との関わりが年賀状で繋げられるようなものなのかどうか。

僕はずっと疑問でした。

なので、今回こういった決断をしました。

人間関係は面白いです。

近かった人が遠くなることもあれば、遠かった人が近くなることもある。

だから、縁が切れたとかどうとかではなく、また交わる時が来れば交わるし、そうでなければ交わることはないでしょう。

そんなふうに人間関係を繋ぎとめようというより、時の流れに委ねるといったふうに考えております。

一度始めたものを止めるのは大変だ

今回年賀状を出す・出さないで思ったのは、一度始めたことを止めるのは大変だということです。

僕は「やらないより、やったほうがいい」という言葉はある意味、呪いの言葉だと思っています。

年賀状は僕にとって、そういったカテゴリーのものでした。

おそらく、今後年齢を重ねていくにつれて物事を捌ける量は減っていくでしょう。

自分の物事を捌ける量も、時間も、ありとあらゆるものは有限です。

その限られた時間を、自分の裁量を見極めて、「やること」よりも「やらないこと」を決めていったほうが良いのではないかと思っております。

特に「相手から見てどう思われるか」「周りがやっているから何となくやっている」などの世間体・見栄などから判断してやっていることは、僕は減らして生きていきたいなと思っております。

そうして出来た時間を、自分の大切に思う誰かと過ごしたり、好きなことに使っていきたいなと思います。

何より「周りから見てどう思われるか」「周りがやっているから」といってやるのは自分の人生を生きていないようでなんか虚しさを感じます。

年賀状のことを考えることで、

  • 「やること」を決めるより「やらないこと」を決める重要性
  • 自分の人生を生きよう

こんな2つのことを考えました。

そして会わなくなった友人。元気でやっていると思うけど元気で!

(ここまで読んでくださった方は、脳内でエレファントカシマシの「俺たちの明日」を再生して頂けたら幸いですw)

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