僕が「自分の人生を生きよう」などと思うようになったのはもう12年位前のこと。
長い時間行き詰って、立ち止まって、うずくまっている時に思ったことです。
本当にこれに気づいて良かった。
「自分の人生を生きる」
それは当たり前のことのように思いますが、僕はこれが出来ていなかった。
そして、今でも日々乗っ取られまいと自分の軸を持つようにして暮らしております。
自分の操縦席に座ってくるもの
自分の操縦席には自分が座っていること。
これが「自分の人生を生きる」ということだと思っております。
しかし、この操縦席に他者だったり、他者の作りだした価値基準が座っている人は多いように思います。
「何歳になったら~すべき」
「~らしくしなさい!」
結婚は何歳までにすべき、子供は、マイホームは、男らしく、女らしく、エトセトラエトセトラ・・・
周囲も悪意なくそんなことをどんどん言ってくるもんだから、そうじゃない自分はこう思うのです。
「あれ!?俺こうすべきなのかな?」
そう思い始めると自分の操縦席には、他人の価値観みたいなのが座り込んできています。
「~すべき!」には笑っておさらばだ。
「~すべき」「~らしく」などなど・・・・。
やかましいわ!
などと言うとさすがに角が立つし、スマートでもない。
あなたの言っている事はわかりました!僕は僕の人生を生きるのでそれ以上僕にあれこれ言わないで下さい。それでは失礼!
と、笑顔で言ってやりましょう。
自分が望んでいない人生を生きることはツラい。
立ち振る舞い、進学、就職、ライフスタイル、、、、、
ありとあらゆることに「~すべき」「~らしく」が付いて回る。
しかも周りでそれを言ってくる人はおそらく悪意がない。
だからこそ、タチが悪い。
気が付くと、そこらじゅうから「~すべき」が寄ってくるから。
気が付いたら、自分を「~すべき」「~らしく」に乗っ取られ、振り回され、自分の意思もなく自分の好きもない人生になっていたと気づいた瞬間の辛さは半端じゃない。
こうして自分の価値観ではない「~すべき」「~らしく」に乗っ取られると過剰に他者を気にするようになり、世間体を第一に考えるようになり、他責思考気味になる。
もう、そうなると最高にツラい。
正確に言うと、自分が自分の価値観で生きていないということに気づくまではツラくないです。
気づいてからが、ツラいのです。
僕の操縦席には、僕が座っているか?
自分の中心には自分がいる。
日々気が付くと入り込んでくる、「~すべき」「~らしく」等の他人の価値基準。
それらにはお引き取り願って、自分の人生を生きよう。
自分がどうしたいか、どうするのかは、自分が決める。
自分の人生を生きよう。
コメント