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モノを増やしたくない。・・・からの使い切る美学。

日記
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サムネイルの履き口がボロボロにノビまくった靴下。仕事の時に愛用していたもので、ちなみに指先には小さな穴が空いているw

穴が空いて、履き口もノビまくっているが、その状態で使い続けること半年になった。

別に靴下を買うお金がない訳ではない。節約している訳でもない。

履き心地が良くて気に入っている訳でもない。

ただ、モノを増やしたくない。買いたくないという一心なのだ。

新しいのを買ったら、この靴下は処分するからモノの数は増えないのに、何故こんなに不合理な考えなのか。

このボロボロの靴下を一日おきに履くのだが(仕事用の靴下は2枚ローテーション)、履くたびに「なぜ買い替えたくないのか」を考え続けた(暇人という突っ込みはいくらでも受けます(;^_^A)

なんというか、使い切りたいという気持ちがとにかく強い。

使い切って使い切って、「ありがとうね」の気持ちで捨てたい。

持っている物に対してすべてそんな発想を持っている。ボロボロになるまで使い切りたい。

以前ブログで言及した、ソールが剥がれてきたハイペリオンテンポも、きれいに洗ってソールを瞬間接着剤でくっつけて、職場の内履きとして今だに履いている。結構履く時間も長いのでボロボロだけど「まだ使える」と思っている。他にも履きつぶしたランニングシューズは職場の外履きとしても余生を送っている。そんな感じで、1000km以上はランニングで使った後は職場の内履き・外履きとして余生を送ってもらい、使い切るようにしている。

物を使い切るのはもちろんだけど、最近は自分の体・・・というか命を使い切るということも良く考える。

では、どう生きれば、命を使い切ったと言えるのか。

何か大きなことを成し遂げればいいのか?

今の暮らしを愛でつつ、生きていくのがそういうことに当たるのか?

何か新しいことをすればいいのか?

何か目標を立てて、それを実現すべくいけばいいのか?

・・・全然わからない。答えが出ない。

「人生に意味なんて求めるのは野暮だ」というのが僕の持論。

これが持論のはずなのに「命を使い切る」というテーマを考えるのは、人生に意味を求めることに近いことを考えているような気もする。

うーん、思考を書いて整理していても、なんかこの伸びきってビロビロな感じにしかならないし、穴だらけだ。

まるでこの靴下のような我が思考(;^_^A

こんなことをビロビロに伸びきって、穴の開いた靴下を眺めながらふと考えたのでありました。

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