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齢44、「43歳頂点論」を読む。

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タイトルの「43歳頂点論」を見て、「読んでみたい!!」と思わず購入。

著者の角幡唯介さんは探検家の方ですごい方だということは知っている位のレベル。確か極地とかのすごい所を旅する方。Youtubeで以前見た時の精悍な感じがすごく印象に残っている。

そんな方が「43歳頂点論」などというタイトルの本を出版したというのに驚いた。

いや、なんか「年齢なんて記号だ」とか言うじゃないですか。こういう心身ともにすさまじい領域に行っている方でも年齢を気にするのかと。

どちらかというと僕も「年齢は記号だ」と思いたい派だったんだけど、ここ数年でものすごい心境に色々変化があって、考えることが変わったというか、ふと自分の人生の終わりとか、考えることが増えていて。

43歳頂点論では、肉体の力と経験値が合わさって一番いい塩梅で力を発揮できる時期が43歳で、そこからはなだらかに下り坂に入っていくということが書かれている。そこで著者が感じたことや考えたこと、これからについて等書かれている。内容についてはあまり触れないけど、すごく前向きになれたというか、そんな感じだった。

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すごく無駄に過ごしてしまった感のある42~43歳

で、僕は今44歳だ。

この本で言及されている43歳の時の僕は、もう本当三井寿ばりに「なぜ俺はあんな無駄な時間を・・・」という過ごし方をしてしまっていた。

というのも、42歳から43歳までの間は家庭問題のトラブルで頭がいっぱいだったからだ。

毎年参加していたウルトラマラソンの大会も、昨年は出場を見合わせた。もう走れるような精神状態じゃなかった。今年になってようやく出場出来る目途がついたけど、すさまじい体力の低下と走る感覚の悪さに苦しめられた。その度に家庭問題の大元の原因となった人に対する怒りとかなんで自分がこんな目に遭うんだという気持ちでいっぱいになった。

それだけならまだしも、頭の中がお金を蓄えることでいっぱいになってしまった。

お金関係の本を読み漁り、動画を見て、少しでもあんなふうに(家庭問題の件。簡単にいうと住宅ローン破綻とその他多重債務だった)ならないように人生を歩んでいきたいと思うとお金のことが頭から離れなくなった。

こういう問題が起こる前に僕は20代の後半から2年程体調を崩して働けない時期があって、その時にミニマリスト的な生き方で生きていけば稼がないといけない額は少なく済むはずだ・・・とそれまでも結構少なかった持ち物をさらに減らして、物欲と向き合った・・・・というよりも体調を崩した経験から物欲がなくなった。極端な言い方だけど、所有することとかが嫌になった。他人からどうみられるかとかも全然気にならなくなって、ブランド品とかも好きだったのに、全然興味がなくなってしまった。

そんな生活をしていたから、収支がマイナスになることもなかった。

そんな感じだったんだけど、42歳の時の家庭問題発覚でそこからさらに「あんなふうになりたくない」との思いから節約系や投資系の動画を見漁り、本を読みまくり、なんか頭の中が「金、、、金、、、金」となっていた。

そんな中で、ようやく家庭問題が完全収束したのが今年の秋のこと。

ようやく問題が収束し、精神的に落ち着いた感じになって、ふと気が付いた時に「なんで俺、こんなに金、金、ってなってんだろ?」と我に返る瞬間があった。

なんか貧困妄想に憑りつかれていたという感じだ。そもそも自分には物欲なんて大してないし、休日は走って本でも読めれば幸せだ。

そんな生活をしていたから、我が家の家計単体で見れば別にずっと黒字だしある程度の蓄えもある。

しかも、この貧困妄想に憑りつかれていた42~43歳の間で、家計はさらにマッチョ化して毎月の収支はさらに改善され、資産運用も呼吸するレベルで出来るようになった。

金・・金、となっていたのは、個人的にあまり好ましいことではなかったけど、そうなっていたからこそ色々お金のことも勉強出来たし、家計にも反映することが出来た。

そう思えば、無駄に思えなくもないかな。

まぁただ、お金は必要だけど、あくまで生きる手段。目的ではないですよってことです。

軽く流せない、43歳頂点論

そんな感じで、最近はマネー系の本ばかり読み漁っていた僕に突如やってきた「43歳頂点論」。

そもそも、この本が僕の目の前にやってきたという巡りあわせに人生の流れの面白さというか、楽しさを感じる。

「もうそろそろ、お金のことはいいんじゃないか?」

そういう神からのお告げ的なやつなのか運命なのか、大きな何かからの力でこの本が僕の目の前にやってきたと感じざるを得ないというか。

読んでいく中で色々と自分の人生とも照らし合わせながら、たくさんのことを考えた。

僕には本書で言及されているような「自分の山」があるのだろうかと考えてみた。なんでかわからないけど「いつでも100km走れる体力を持っていたい」という強い思いがある。今年の10月から加齢に抵抗するのと、体力作りの為に細々と筋トレを始めた。

この「体力作り」に対して強い気持ちがあるのは何故だろうと思うと、僕は生きてて充実感を感じる瞬間というのはいつでも体を動かしている時だった。

運動音痴なんだけど、虫取りが大好きで自然の中をうろつきまくった小学生時代。疲れた体で夕日を眺めながら家に帰る河川敷の道中が大好きだった。

中学から30歳位まで続けたソフトテニス。疲れ果てて、「もうラケット振れねえ」となってからが確変タイム。ものすごい集中力とインパクトの感触が最高に良くなる。ボールがすごく良く見えて相手が止まって見える。ラインスレスレに自分の打ったボールが乗っかるあの瞬間。肩を壊して辞めてから14年は経つけど、未だに思い出すと脳汁が出てくる。

そして、今やっているランニング。僕はやっぱり野辺山ウルトラマラソンに脳を焼かれたんだろうなと思う。2015年だったか、初ウルトラで制限時間の3分前にゴール出来た時。あのゴールの瞬間の安堵感もだけど、道中で見てきた絶景と日の出から日没まで移ろっていく高原の空気感の中で走って行くあの感じ。何回走ってもいいなあと思う。いつかそれをすることも厳しくなる時も来ると思うけど、可能な限りチャレンジ出来る体力を維持し続けたいと強く思う。

そんな思いがあるけど、この本で言及されている頂点は既に過ぎてしまっていて、僕もゆるやかに下り坂に入ったのだろうか。

「否!」と声高に言いたい所だけど、・・・思い当たる節しかない。

ゆるやかに、でも唐突に終わりたい

最近は、自分の人生が終わるということをぼんやりと考えるようになった。

僕は、20代の後半から3年位過労でうつ病になって「もう人生終わりでいいかな」と思ったことがある。詳しくは書かないけど、家族には多大な迷惑と心配を掛けた。ある意味、すごい不謹慎な言い方だけどそれ以降の人生は「オマケの人生」だと思っている。

そんな「オマケの人生」のはずだったんだけど、それ以降もすばらしいことだらけだし、うつ病も寛解してからは再発することもなく暮らすことが出来ている。

そんな「オマケの人生」もいつか終わりが来る。

それを感じているのか、最近ぼんやりと色々考えること。

なんか身軽になっておかないとなって、すごく思うようになった。

使っていない銀行口座の処分。

年取ったら自力で動かせなくなるであろう家具は小さく。

使っていないものは捨てる。捨てるのだってタダじゃない。

自分の契約関係の情報やパスワード類はノートにまとめる。

契約書関係はファイリングして、見ればすぐにわかるようにしておく。

頭もだんだん固くなってきた。何故か仕事では責任者を任せられているがいつまでこの任務を果たせるのだろうか。体力的にも頭の能力的にも、いつが引き際なのか、ぼんやりと考えることが増えた。

車の運転はいつまで出来るのだろうか。

大好きなランニングはいつまで出来るのだろうか。引き際はどこだ。

僕が先に〇んだら、奥さんはどうなるだろうか(多分大丈夫。僕より全然強い人だと思うから)。

自分の後始末もだけど、どのように生きるか。これも大事だ。いや、多分一番大事。

なんか色々と考える。こんなことを考えては、今できることをやって解決して少しだけ満足したり、唐突にゆらゆら浮かぶ終わりのない問いを考えて楽しんでいる自分もいる。

なんか色々書いてきたけど、この「43歳頂点論」が僕の前にやってきたということに何かの運命を感じる。「42~43歳は無駄に過ごしたかもしれない。お金のことばかり考えてしまった」という趣旨のことを書いたし、思ってはいるけど、それのおかげで家計はより強固になったからこれから先でお金の心配をすることは減ると思う。・・・いや、そうであってほしい。それに、人生無駄なことはないと思う。頂点の年齢で家庭問題に向き合い、お金のことばかり勉強して考えていたことだって無駄ではないだろう。

そしてこれから。

これまでも、なんだかんだで楽しく暮らしている。

僕は多分これからも好きなことをやって、こんな感じで時々「人生とは?」とか「生きるとは?」とか中二病的なことを考えながら、海を見て山を見て川を見て空を眺めて生きていくんだろうなと思う。仕事もなんだかんだそれなりに真面目にやると思う。

そんな感じで、静かにゆるやかに、穏やかに生きていくのかなと思う。

大好きなゴジラ映画で小さい頃、というか今でも疑問に思う事がひとつある。

人間とあるいは敵怪獣と激しく戦っていたのに、戦いが終わると大体海へゴジラは帰っていく。何故か人間は追い打ちをかけないし、見送るような感じで唐突に終わる作品も多い。普通追跡するだろと子供ながらに思っていた。

でも、あれがいい。あの終わり方に突っ込みを入れつつも、それに終わりの美学のようなものを感じていた。

僕の人生もあんな感じで、とっ散らかりつつも唐突に終わる感じがいい。

書いてて何書いているかわからなくなったけど、美学を貫いて唐突に終わろうと思う。

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