今年に入って、新聞の購読を止めてみた。
新聞を読んでいると「なんでこのご時世に新聞!?」などと言われることもあったけど、ネットは自分の好む情報がどんどん出てくるから情報の偏りが出るような気がするし、テレビは同じ事ばかり流すし、情報の見せ方というかなんというか、とにかくテレビに対しては食傷気味だったので、僕の世の中を知るツールはずっと新聞だった。
その新聞を止めることにしてみた。
毎日欠かさず読んでいたし、「情報を得なくては!」と思っていたけど、思い切って止めてみた。
と、いうのも「情報」は意図する、しないに関わらず、ものすごい量が入ってくる。
ここ最近、その情報量に溺れ気味・・・ということもあったし、何より「止めよう」と思ったのは、新聞を読んでハッピーな気持ちになることはあまりなかったからだ。
中には面白い記事もあるし、へぇ、こんなものがあるんだと思ったり、こんな人がいるんだと元気になったりすることもあったけど、トータルで見ると難しい顔をして読んでいる時間の方が多い気がする。
「ったく、どうなってんだコレ!」
「こんなんで、これからどうなるんだろうねぇ!!」
などと、ひとりブツブツ言いながら読んでいる。
すごく極端な言い方になると思うけど、自分と関係ないことで不機嫌になっていることがすごくもったいないと感じることがここ数年続いていた。
何かの本で「現代人が一日で得ている情報量は、江戸時代の人の一年分」という記述を見たことがある。
それだけ大量の情報を処理し続けることを脳が強いられ続けたら、確かに疲れるだろうし何らかの弊害が起こっても不思議ではないと思う。僕の場合は、特に「新聞読んでてハッピーな気分になることが少ない」というのが止めてみる一番の理由だったけれど、「ハッピーではない状態」「不機嫌な状態」というのも脳からしたらあまりいい状態ではないと思う。
そうでなくても、日々色々なことがある。その中でご機嫌でいることはすごく大切なことだと僕は思う。ご機嫌で過ごすために、得る情報量を減らす。アンテナをたたむ。
得る情報量を減らしたら、何も知らない状態になって困るのではないだろうか?
そんなことも思ったが、今の所、何の弊害もない。
むしろ、狙い通りご機嫌で過ごせているような感じがする。入ってくる情報が減った分、頭がスッキリしているような感覚もある。
どうやら、この試みは今の所大成功だったようだ。
こんな感じで、スッキリご機嫌で、過ごしていきたいと思う。
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