春のウルトラ三部作も故障なく無事終わり、しかも今回は全てゴール出来るという、とてもうれしい結果になりました。
「ああ・・・良かった・・・」
と、4月のチャレンジ富士五湖、5月の野辺山ウルトラ、6月のオクム、それぞれを振り返りつつ大会ロスに浸りまくり平和に過ごしていましたが、そろそろ例の大会が迫ってきました。
その大会の名は「8時間耐久レースin戸田・彩湖」。
気が付いたら毎回エントリーしているけど、毎回えらいことになっている気がするこの大会。
景色を楽しんだりする「旅」的な要素を楽しんで走っている僕にとって、ものすごく異色なこの大会。
まだこの大会が所沢でやっている頃に初めて出場し、走っている時には「同じ所を周回するのは苦手だから、次は出ないかな・・・」と思っていましたが、そこからまさかの毎年出場。
毎年出場するのは「楽しいから」という理由しかないのですが、ちょっと捻じれている気がする僕の周回レースへの愛情。
そんな捻れた周回レースへの愛情について、書いてみたいと思います。
何故、苦手なぐるぐる時間走におびき寄せられてしまうのか
僕は、時間走が苦手だ。
- 景色が変わらない
- 速く走るとゴールが遠のく感じがする(すごく気のせいな件)
- 3週目位から飽きる
周回数を重ねていくにつれて、高校生の時に微分積分、サインコサインタンジェント、この辺りで数学の授業で意識が飛ぶことが多くなって、「よし、数学は無理だ!!」と悟った時のような清々しい諦めの感情が湧き上がってくる。
それでも数学の授業は好きだった。
先生がすごい癖の強い先生で、先生自体は何か面白いことを言うとかそういうタイプの先生ではなく、ひたすら一生懸命数学の授業をする先生だったんですが、すげえマッチョで、力が有り余っているのか黒板に字を書きながら、そのマッチョな筆圧でチョークをボキボキ折るんです。
その折るチョークの数を数えているのが、楽しかった。
サインコサインタンジェント、イミワカラン。
そんな感じで数学からは完全に離脱した状態で先生が折ったチョークを数えて、一人で楽しむ。
それに似た、訳の分からない楽しみが8耐にはある気がする。
8耐の面白さは、自分にどんどんハマっていくことにあると思う。
景色で気分転換とか出来ないから、どんどん自分の妄想の世界へ入り込んでいってしまい、妄想だけならまだしも目標までもがどんどん下方修正されていってしまう。
「飽きてきたなぁ・・・・」
「60km走ろうと思っていたけど、これは40km超えたら万歳ですな」
「40kmも怪しいぞ・・・8時間コースにいればいいでしょ!8時間ここで過ごすことがゴールだ!!」
などとどんどん目標を下方修正していくダメダメな自分に笑ったり、
そう思ったかと思うと、
「このままじゃダメな気がする!!元を取ってない!!」
と、謎のもったいない精神を発動して一生懸命走ったり。
走りながら、脳内でひたすら音楽を流し続けたり、面白かった漫画や本の内容を脳内再生したり。
ちなみに何故か、8耐を走っている時は伊藤潤二の「うずまき」を思い出します。ぐるぐる回るからでしょうなぁ(遠い目)
こうやってつらつら書いていると、やっぱり楽しいなと思うので苦手苦手と言いつつ、周回のウルトラも好きなんでしょうね・・・。
「嫌よ嫌よも好きのうち」ってか。
号砲後8時間後、僕は何を思う
そんな感じで、今年も「何故8耐が好きなのか」というお題で書いてみたものの、結局よくわからない内容になってしまった。
でも、間違いないのは同じ所をぐるぐる回り続けることに、まだ自分でも気づいていない魅力があるに違いない。
じゃないと、2016年位から毎年出ている意味がわからん。
この答えがわかる日が来るのか。
多分わかる日なんてこない気がする。
「ああ!タイムアップまで後3時間もある!!」
なんて、悪態をつきながらニヤニヤして彩湖を周回し続けたり、エイドの食べ物を食べながら過ごすのが幸せなのかな。
今回はどんなことを思いつつ彩湖で一日過ごして、ゴールで何を思うのか、楽しみです。
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