【景品表示法に基づく表記】本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれている場合があります

継続の素晴らしさと恐ろしさ

僕が思う事
スポンサーリンク

「継続し続けること」

「日々、積み上げていくこと」

これらを続けていくことは、とても難しい。

自分で続けると決めたことなのに、止める理由、妥協する理由が100と出てくる。

それを超えて継続していくと、思わぬ所にたどり着けることがある。

そんな実感を遊びや仕事で実感することが時々あります。

ただ、「継続」は良いことばかりではない。

良くないことをダラダラと継続した結果、依存症や生活習慣病など、とてつもない破壊力を自らにもたらす結果を生むこともある。

良い事も、悪いことも、たどり着いた時には、自身の想像もしていなかった所までたどり着いてしまう「継続」の力について書いてみたいと思います。

スポンサーリンク

良くも悪くも、「とんでもない所」へ行ける

最近継続の力を強く感じたのは、趣味のランニング。

2023年の4月。僕は118kmのウルトラマラソンを完走することがついに出来た

走り始めたのが2011年の秋。

なんとなく増えて来た体重をどうにかしたいのと気分転換が走り始めたのがきっかけ。

そこから、何故か10kmの大会に出て、ありえない位脚が痛くなって1ヵ月歩くのもツラい状態に。

そしてハーフマラソンを走った後も1ヵ月脚が痛い状態に。

そして2012年。初めてのフルマラソンは、制限時間に間に合わずリタイア。

この時点では、まだウルトラマラソンの存在も知らなかったし、そもそもフルマラソンを完走している状態ではなかったので、フルマラソンを完走することを目標に取り組んだ。

僕がそもそも走り始めた理由はダイエットと気分転換の為。

そんな感じで始めたので、短期間で気合と根性で鍛え上げるというよりも、まずは「脚が痛くならないペースや距離をコツコツ積み上げていく。しかも楽しく。」という方法を取りました。

それを続けていく中で少しづつ、慎重にペースと距離を伸ばしていき、それを繰り返す事数年。

2013年にはフルマラソンを完走することも出来ました。

気が付いたら、ウルトラマラソンに挑戦し、10年以上続けていたら118kmのウルトラマラソンも完走出来るようになりました。

走り始めた当初では、想像も出来なかった所に気が付いたら来ておりました。

そして、軽い気持ちで始めたランニングは、気が付いたら僕の生活の一部になっていました。

気が付いたら118kmのウルトラマラソンを完走出来るようになったことよりも、ランニングが生活の一部になるくらい好きになれたことがうれしかったです。

趣味のランニングをコツコツ継続していくことで、想像もしていなかった所まで気が付いたら来ておりました。

反対に、

あまり心身によくないであろうことを続けてしまうと、気が付いたら依存症や生活習慣病になってしまい体を壊してしまうことがある。

依存症も生活習慣病も、最初は特に大きな影響を及ぼさないが、気が付いたら大きな、破滅的な結果をもたらしてくる。

そういう意味で、良くないことも、継続していくと想像もしなかったような結果を招いてしまうことがあるということだ。仕事柄、そういう方の後悔の言葉を聞くことがあるが、本当に辛そうで、かける言葉をいつも慎重に選んでお話しをしている。

「継続の力」の良い面と悪い面の一例を挙げてみましたが、この継続の力は様々な所で良くも悪くも存在感を出してくる。

人間関係、ビジネス、趣味、、、、列挙していったらキリがないだろう。

何を継続し、何を継続しないか

こうして、継続の力の良い方向もそうでない方向のすごさも目の当たりにすると、

「何を継続し、何を継続しないか」

が、重要となってくる。

これは、個人個人の生きていく上での美学に触れるようなことだと思うので、「これが良い」とか「あれはするべきで、これはすべきではない」と言及するような類の問題ではないと思う。

「何を継続し、何を継続しないか」は、各人の生き方の問題だと思うから。

では、僕は「何を継続し、何を継続しないか」はどのように判断しているか?

僕の場合は、

「それを継続したいと心から思っているか?」

「それを心から楽しいと思っているか?」

「それをしている自分は好きか?」

これらの自らへの問いが、すべてYesであることが僕が何かを継続していく時の判断基準。

仮に、今自分が継続していることで破滅的な結果を招いたとしても、これら3つの質問で「Yes」だったことならば、反省はあっても後悔はないだろう。

これからも、この3つの質問を常に心の中に置きながら、様々なことをコツコツとやっていきたいと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました