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10年以上取り組み続けている思考法、コントロール出来る事と出来ない事を仕分けること。

僕が思う事
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ここ10年、タイトルにはそう書いたけどそれ以上になるかもしれない。

思考法、メンタルトレーニング、考え方の枠組みの再構成・・・・

色々な表現のされ方がありますが、僕は「思考法」と呼びたいと思います。

その思考法とは、「自分でコントロール出来る事と出来ない事を仕分けること」。

そして、「自分でコントロール出来ることに集中し、コントロール出来ないことには囚われないこと」。

こう書くと、とてもシンプルで簡単なことのように思うが、僕にとってはとても難しい。

まず、コントロール出来る事と出来ない事の区別が付かない時もあるし、区別が付いたとしても、自分でコントロール出来ない事に執着して、囚われてしまうことがある。

最近ではこの思考法も板についてきたように思えていたが、ここ最近の家庭問題(近親者の住宅ローン破綻と多重債務。詳細はこちら)に対応する中で、まだまだこの思考法が定着してないなと感じました。

この家庭問題、当事者の方がやることがほとんどで、僕たちがやれることは必要な相手(弁護士や不動産業者)につなぐ所までで、後は当事者の方に付き添うとか導くとか、状況の整理を手伝うとか、そういうことしか出来ない。

しかし、問題の処理結果によっては3桁万円の損害がこっちにも降りかかってくる可能性のある事案だった(この記事を書いている時点でこの点はクリア。損害を被らずに済みました)。

そんな中でも当事者の方の行動は不誠実かつポンコツに僕には見える。

不誠実かつポンコツな行動に対する怒りと絶望と、もしかすると3桁万円の損害が降りかかってくる可能性が僕の頭から離れなくなってしまった。

どちらも僕ではコントロール出来ないことであること、それは頭では理解しているけどどうしても、「許せない」「怒り」「不安」の感情が僕を支配し、それに執着してしまっていた。

なんでだよ。なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ。

そんなことが頭をグルグルと回り、何をしてても頭から離れなくなってしまった。

ついにはめまいまで起こすようになってしまった。

どうにか、適度な運動、睡眠、食事を継続し、大きく体調を崩すことなく過ごすことが出来、家庭問題もどうにか収束することが見えてきた4月の下旬頃から体調も上向いてきた。

家庭問題が収束に向かいつつあること、3桁万円の被弾がなくなったことで、体調が回復しメンタルも落ち着いてきたのだと思う。

今回はこれで良かったけど、ずっと長い期間取り組んできた「コントロール出来る事と出来ない事を仕分ける事、そして自分がコントロール出来ることに集中し、コントロール出来ない事には囚われない事。」、この課題が出来ていたかどうかについては、全く出来ていなかった。

案件が案件なだけに、という言い訳もあるけど、こういう厳しい場面でこそ、この思考法が生きるはずだと思って長年取り組んできた課題だったので、とても自分に不甲斐なさを感じる。

今回の事で、そういう自分の弱さが改めて浮き彫りとなった。

コントロール出来る事と出来ない事を区別出来る、知性。

コントロール出来る事に集中し、コントロール出来ない事に囚われない、強さ。

これからも、この思考法を身に着けるべく、日々鍛錬していきたい。

心の鍛錬は続く。

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