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原因探しに固執しない

僕が思う事
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先日、身近な人が完治が難しい疾患に罹患し、お話している時にこの方は僕にこう言った。

「なんでこうなったかね。何がいけなかったかね」

僕はとっさに、こう答えました。

「気持ちはわかります。でも、原因探しをしても今を変えることは出来ません。今、この状態からどうありたいか。どうしていきたいかを考えたほうがきっと気持ちは楽になると思うんです。」

・・・酷だったかもしれない。言った後に少し後悔しました。

でも、僕は過去に長い長い人生の夏休みで原因を探しても解決しない問題をグジグジと思い悩み、完全に迷子になってしまったことがある。

過去に原因を過剰に求めていくと、その最果ての地は自己否定だ。

今までの自分の行動、生活、選択、関わった人、決してそんなことはないはずなのに、すべてそれらのせいにして、もう生きていても仕方がないという所まで自分を追い込んでしまったことがある。

過去への原因探しを止めて、「自分はこれからどう生きていきたいか」。これを考えるようになったら僕の長い長い人生の夏休みは終わりに向かっていきました。

そんなことがあったからこそ、大切な身近な人に過去に原因を求めて自分を否定し、責めるようなことをして欲しくなかったので言ってしまいました。

前を向いてほしい。その一心で。

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原因を特定しても改善出来ない事

問題が発生すると、原因を探して、それを改善して、再発しないようにしていく。

これで、どうにかなる問題は、こうすれば良いと思う。

でも、病気や人生の袋小路に迷い込んでしまった場合、そのやり方では却って問題を拗らせてしまうことになるように僕は思う。

原因は見つかるかもしれないけど、過去に戻ることは出来ない。仮に見つかったとしても、その状態になったという事実は変えられない。

過去の積み重ねで今があるので、そういった事案の時はその事実を受け止めた上で「これかどう生きていきたいか」と考えることが重要となる。

もう15年前の話になりますが、僕は過労によるストレスで病んでしまい長い人生の夏休みに入ってしまったことがあります。

当時僕は、出世欲もかなりあり、数字もある程度出せていて、今では想像も出来ない位に自信に満ち、競争心の強い人間だった。

そんな中で、過労のストレスである日手の震えが止まらなくなり、朝起き上がれなくなって、動悸が止まらなくなった。

人混みが怖い。人と会うのが怖い。すべてが自分を責めているような気がする。

明らかに、僕は鬱の状態だった。

病院を受診し、「とにかく休養。仕事はドクターストップです。」との指示を受け仕事は休職。

本当は、バリバリ働いているはずの時間に自宅の天井を眺めながら、「なんでこんなことになったんだろう」と1年以上考え続けた。

それは、とても辛い時間だった。

「就職の時に、もっと自己分析や会社分析、業界分析をするべきだった。選択を誤った」

「部活ばかりやって、先々のことを考えて生きてこなかったからこうなったんだ」

「勉強を詰め込みでやっていて、ちゃんと継続してやっていなかったからこの程度の頭脳なのだ」

「そもそも文系でなく理系に行くべきだった」

「サラリーマンじゃなくて、資格を取って士業に就くべきだった」

「仕事で嫌なことは嫌と言えないのは自分の気が弱いからだ」

「気が弱いのは、幼少期に運動が出来なくて、体が弱かったからだ」

「小さい頃、体が弱くて体力がなくて、運動が出来なくて、いつも置いてけぼりを食らっていた」

・・・そんなはずはない。楽しいこともいっぱいあったし、僕は人に恵まれている。

それなのに、今の状態となった原因を過去に探していくと、思い出のすべてがねじ曲がって見えて僕の今の状態の原因になっているような気がして、すべてが嫌になってしまった。

これがテレビゲームだったら、リセットボタンを押してやりなおしたい。

そんなことを思うようになり、最終的に「生きていても仕方がない」とまで追い込んでしまっておりました。

今、これからどう生きていきたいか

そんなことで悶々と過ごしていく中で、ある日会社から休職期間の満了と退職勧告を受けました。

当時の僕は、もうそれに対して自己主張をするような気力もなく、働ける気もしなかったので受け入れて退職をしました。

「使うだけ使って、潰れたら捨てるのかよ」

こんなことを思い、会社を憎む気持ちも生まれて、そこからしばらくの間は過去への原因探しと会社への憎悪に囚われて自宅療養の日々を過ごしました。

そんなふうに過ごす中で、「この人生、終わりでいいや」と思う事もあったけれど、かと言って自分で終わらせるようなことも出来そうにない。

会社に所属もしておらず、完全にフリーの人間となってしまった。

肩書も、何もない。ただの療養している人だ。

かつては営業成績で表彰されたかもしれない。

かつてはソフトテニスでもそこそこの戦績を残したかもしれない。

かつては勉強でそこそこの成績を残したかもしれない。

でも、もう僕にはすべて無くなってしまった。

ある日、伸びまくった髭を剃ろうと思い、鏡の前に立つと見たことのない人がいて驚いた。

鏡に映る僕は、生気のない顔で、どよんとした目で、ありえない位太っている。

鏡を見ていて、「俺、マジですべてを失ったな」と思いました。

いったいどうして、俺は何を間違えたらこうなったのだろう。

仮に見つけてもどうしようもない原因探しと、かつての自分ばかりに囚われて、自ら生み出した地獄へと落ちていっているような感覚の日々でした。

そんなでとんでもないやけ酒を飲んで荒れてしまった日の翌日。

記憶はないが、家にいました。どこかはわからないけど、僕は一人で泣きながら酒をむちゃくちゃな飲み方をしていた気がする。

たぶん奥さんが迎えに来てくれたのだろう。なんとなく迎えに来てくれた時のことを覚えている。

すごく、心配をかけて、泣かしてしまった。

どうしようもない僕を見捨てずにいてくれる妻がいる。家族がいる。

どうも、こんな僕でも生きていてほしいと思ってくれる人はいるようだ。

「生きねば。生きていこう。」

ひどい二日酔いと気分の悪さで目覚めた朝は、僕にとって生まれ変わりの朝だった。

そこから復帰までには時間がかかるのだけれど、「こういうふうになってしまった僕は、これからどうやって生きていきたいか」を考えるようになった。

すごく長い時間掛かったけど、不毛な過去への原因探しとかつての自分に囚われることが終わり、「こうなってしまった自分」を受け入れて、「その上でどうありたいか」を考えられるようになった。

こう思えるようになったのは、支えてくれる家族がいたとか幸運な部分もあると思う。感謝してもしきれない。

過去の積み重ねで人は生きていっている。それは事実なのだけれど、過去ばかり見ていると未来が蔑ろになってしまうこともある。過去に過剰に原因を求め、過去に囚われてしまうと、とんでもない袋小路に迷い込んでしまうこともある。

「これから、どう生きていきたいか」

節目節目で自分に問いかけていきたい。

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