先日、「日本の報道の自由度ランキングは70位」というニュースを聞いて、なんとも残念な気分になった。
今までの報道を見ても、どう考えてもおかしいことが報道されずに、どうでもいいようなこと(芸能人のゴシップ等)が繰り返し繰り返し報じられているような傾向が強いように感じる。
メディアはスポンサーがあって成立しているので、スポンサーの意向や、権力に対して逆らえない部分はあるのだろうし、情報は発信する人から見た側のものに過ぎないから、それを以って全てと判断するのは早計だと思うけど、なんとも暗澹たる気持ちになった。
漫画「進撃の巨人」で始祖の巨人の能力で記憶をコントロールされてるパラディ島の人々。
我々は、そんな感じなのか。
そんなことすら思ってしまう「報道の自由度ランキング70位の衝撃」。
先日見た映画「ゴジラ-1.0」でも「情報操作はこの国のお家芸だ!!」などというセリフがあったけど、まさに現代でもそんな感じなのだろうか。
そんな感じで嘆いていても変わらないし、そんなことは薄々感じていたし、だからこそここ数年でテレビ等のメディアとの付き合い方も大きく変わった。
そんな自分なりの情報との付き合い方について書いていきたいと思います。
僕なりの情報との付き合い方
僕なりの情報との付き合い方は、
「発信者の後ろ側にある事情を考慮して情報を受け取る」
これ。
スポンサーとか、政府とか、発信者の得ている収益源とか、つまりは全ての情報は「ポジショントーク」である可能性があるということを考慮しながら受け取るようにしています。
だから、テレビはフェイクだ、ネットは信用できるor出来ない、本は?新聞は?などなど色々考えはあると思いますが、どの情報も「話半分くらい」で取捨選択し、選択した情報についても妄信しないように気を付けております。
そして、妄信しすぎないように気を付けていることと同じくらい気を付けているのは、情報を浴び続けないこと。
テレビの付けっぱなしや、SNSをずっと長時間見続けることをしないように気を付けています。
遠慮なく言ってしまうと、「テレビの不安物欲ゴシップ脳増幅装置」っぷりは最近かなりひどいように思う。最近・・・・でもないか。
あれをずっと見続けていると文句ばかり言って、人の評論ばかりして、自分は何もしない、そして不安感マシマシ、そんな感じになってしまうのではないかと思うので、最近はテレビとは一定の距離を取っています。
大量に流れまくっている情報から、ある程度の距離を取る。
どの情報も、妄信せず、話半分位で受けとる。
そんな感じで、情報と付き合っております。
まとめ
このあふれかえる情報の海。しかもその情報の中枢である報道はある調査機関によれば「報道の自由度ランキング70位」。これは衝撃だった。
「日々流れている情報は極端すぎやしないか?何かに偏り過ぎていないか?」ということは薄々感じていたことだけど、まぁとにかく残念だ。
嘆いていても仕方ないので、自分は自分の考えで生きていくのみ。
情報は妄信せず、適度に距離を取りながら、自分の頭で考えて行動していく。
そんな感じで、日々暮らしていきたい。
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