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2023年チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 最終話「4年と14時間20分のゴール」

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン
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ついに100kmを超えて未知のゾーンに突入。

ここまでたくさん走り、笑い、食べ、飲み、応援され、ここまで来た。

ヤバい、キツいと思ったことも数知れず。

ネガティブな自分の内なる声にも負けそうになった。

でも、今日は、ここまで来れた。

長かった道のりも、いよいよ終わりが近づいてきた。

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未知のゾーンを走る

湖畔の道を走り終えて、ついに行きに通った道へ戻ってきた。

道路標識に「河口湖」の表示が見えることや、少し陽が傾いてきたこと、風が少しひんやりしてきたこことが、レースが後半戦であることを告げているように感じる。

ウルトラマラソン終盤の、少し気温が落ちてきて、風が心地よい冷たさに変わるこの時間帯が大好きです。何故かはわかりませんが、すごく好きです。

足和田出張所前の下り坂では、大腿四頭筋に気合いを入れて思い切り下っていきます。

下りで稼ぐ。下りで稼ぐ。ゴールは近いけど、どれだけ近くまでいこうが最後まで何が起こるかわからない。

走れる所は、ゆっくりしか走れないけどしっかり走ろう。

ようやく到着した足和田出張所では、自動販売機でリアルゴールドを買って一気飲み。

足和田出張所を出る時に、河口湖が見えて「あぁ、俺帰ってきたんだ」と実感。

足和田出張所から見た河口湖。

2018年大会で4LAKESの部にエントリーして完走した時以来、旧精進小学校からゴールまでの帰りの道は通っておりません。

どんな感じかもほとんど記憶していなかったので、この辺りは「やっとこの辺走れるよ」「ああ、こここんな感じだったな」とか思いながら走りました。

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンは、どちらかと言うとツラい思い出が多かったなぁと走りながら思い出しておりました。

2017年大会は4LAKESの部にエントリーし、完走したものの最後は歩き倒した。

2018年大会も同じく4LAKESの部にエントリーし、完走したものの後に発覚する貧血で最初からずっとツラかった。

2019年からは5LAKESの部に挑戦を始め、DNFを積み上げてしまっていた。

でも、今日は、6回目の参加にして一番楽しいチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンだった。

どんな状態であれ、どんな結果になろうとも、最後まで楽しもうじゃないか」そんな覚悟が、今までは足りなかったようだ。特に5LAKESに挑戦を始めてからは。

覚悟、覚悟というとすごくストイックな感じがしますが、「絶対にゴール」とかそういうのではなく「どんなになっても楽しむ」というゆるい覚悟。

僕にはそんな覚悟が合っているようです。

覚悟と言えば、会場へ向かう車の中でたまたま奥さんがかけたB‘zの「ultra soul」のフレーズが一日僕を支えてくれました。

まさに僕に、今まで5LAKESに挑戦するにあたって持っていなかったメンタリティを直前にultra soulに指摘された感じで、固めていた覚悟がより強固になった瞬間だった。

結末ばかりに気をとられ この瞬間(トキ)を楽しめない メマイ・・・

おのれの限界に 気づいたつもりかい?

かすり傷さえも 無いまま終わりそう

祝福が欲しいのなら 底なしのペイン 迎えてあげましょう

B‘z 「ultra soul」より抜粋し引用

何度も何度も聞いた歌なのに、これらは走り出す前の僕にすごく刺さって勇気をくれたフレーズでした。

「結末」は「結果(完走できるかどうか)」に置き換え、「祝福」は「完走」に置き換えたら、とんでもなくドーンと来た。

あと、自分で自分の可能性を信じられない僕に「おのれの限界に 気づいたつもりかい?」は刺さりまくりでした。

この日脳内で一番流れた曲は間違いなく「ultra soul」だ。

ありがとうultra soul。

110km。ついに来た。
本栖湖で遠くに見えた富士山が大きく見えてきた。ゴールは確実に近づいていると実感出来ました。

市街地に帰ってきたら、応援の方が一段と増えて背中を押して頂けました。

ありがとう、ありがとう、応援にそう答える度に少しだけど走る気力が復活する。あの現象は何なんだろう。僕はこれを「ありがとうブースト現象」と名付けています。

そしてついに、110.8km地点の最終関門に到着した。

最終関門についに到達

「よし・・・ここまで来た!」そんなことを言いながらエイドステーションへ入る。

この時、奥さんから「ゴールしたよ!」とLINEが。

すげえな。13時間台前半って・・・・。さすがや。

「今最終関門。最後、がんばります!」と返信。

ここから少し行ったら船津の登り。登り切ったら、あとは下り基調の道をウイニングランだ。

芋けんぴをボリボリ齧りながら、汗とか水かぶりでグシャグシャになったペース表に目を落とす。

ペース表をたたみ、目を上げて、再び気合いを入れなおす。

長かった道も、あと少しだ。

ゴールへのカウントダウン、始まる

ゴールが近づいているという嬉しさとは裏腹に、体はもうガタガタ。

信号で止まると、脚のガタガタ具合をより実感します。

信号で止まっている時の一枚。ガタガタで、底なしのペインすぎましたw

船津の坂も走れたら走りたいけど、たぶん厳しい。

だったら船津までは走りたい。

ゆっくり、ゆっくりだけど確実に走っていく。目の前の富士山を眺めながらひたすら走っていくと、ついに船津の坂の入り口が見えてきた。

「船津登山道」いい名前ですね(白目)

船津の坂を登るのも久しぶりだ。毎回完走している奥さんから、「よーく落ち着いて見れば、足柄峠や野辺山、オクムの坂よりマシ。ツラいけど走れるはず」と何度も話を聞いていたのでとりあえず走ってみる。

・・・確かに。走れないことはない。

ゆっくりゆっくり登っていくと、ついに「あと5km」の表示が。

走っている最中にハムストリングスが痙攣したので、歩きも混ぜながら登っていきます。

5分歩いて、5分走って、次第に2分走って、5分歩いて・・・

やがて、ずっと歩いて・・・・

画像で見ると走れそうなんですが、この日の僕にはこれが壁に見えました。

「あと4km」

「あと3km」

船津の坂を登りながら、2019年から挑み続けた5LAKES完走への挑戦を思い出しておりました。

2019年春大会、年明けから前日まで続いた仕事のトラブルが頭から離れず58kmでDNF。

仕事のトラブルそのものはコントロールできないような事案だったが、休みもなくなり、思うようにトレーニング出来ない、そんな日々が続き苛立っていた。後から思ったのは、コントロールできないことを思い悩むのはやめようと思っていたのに、またそうなってしまっていたこと。まだ自分でコントロール出来ることと、出来ないことの区別が出来ていなかった。

走力以前に、心の鍛錬が足りていなかったのだ。

2019年秋大会、90km地点の旧精進小学校付近でタイムオーバー。

75km地点の本栖湖県営駐車場エイドで長く座り込んでしまった。キツかったとか気持ち悪くなったとか色々あったけど、一番の問題点は座っている間、「完走する」「この状況をどうにかしたい」という意思を完全に失ってしまい、我に返った時には大量の時間を浪費してしまっていた。取り返すべくその後走ったけど、後の祭り。

どんな状況になっても、その状況を楽しむ、どうにかする覚悟が足りなかった。

2020年~2021年。新型コロナウイルスの影響で大会中止。

この時期は中止となり、チャレンジすらできず。

毎年チャレンジ出来ると思っていたことは、大きな間違いであったと思い知らされました。「いつか」と思っていたことは、今つかみ取ろうとしないと訪れないのだと痛感しました。今、その瞬間に何を選び、何をつかみ取るか。リヴァイ兵長じゃないけど、人生は選択の連続だ。悔いなき選択をしたい。

「今」この瞬間を大切に、そんなことを思った期間でした。

2022年大会。42km地点で距離と制限時間のプレッシャーに耐えられず大会放棄。58kmでDNF。

「ペース表を作ることによって、距離と制限時間の厳しさが可視化されて怖すぎる」との理由から「6:30/kmでただひたすら進めばいい!」と謎の開き直りをし、無策で挑み、エイドで何が出るのかわからず補給やその他全てにもたつき、疲弊し、消耗し、放り投げてしまった最高にカッコ悪いDNF。

距離や制限時間、そういったプレッシャーとちゃんと向き合う強さが必要なのだと痛感させられました。楽しむのも強さと勇気が必要と思い知らされました。

書いていて恥ずかしくなるようなDNFの歴史。

その度に、何が自分に足りないのか、何が過剰なのかを考え続けてきました。

トレーニングも走行距離を増やすこともですが、その中である程度スピードを上げて走るトレーニングも確保していきました。距離も大切ですが、スピードも大切。今までは距離に拘り過ぎていたかもしれないと思いました。

課題の多いメンタルにも向き合い続けてきました。

「行く先」に絶望して、その場でうずくまってしまう。

一言で言うとそんな弱さが僕にはあります。先を想像しすぎてしまう。しかもネガティブに。

今、この瞬間にどうありたいか、その連続の先に「行く先」があるのだ。

だから、「行く先」に意識を向けすぎるのではなく、今にどう意識を向けるかなのだ。

今日も、それが出来ている時もあれば、そうでない時もあった。

きっとこれは、僕が生きていく上でずっと続けていく心の鍛錬なのだろう。ランニングをしていようと、していまいと。

そんなことを思っていると、あっという間に「あと1km」。

ずっと、ずっと見たかったこの看板。

118km地点の君へ

ゆっくりなんだろうけど、必死に走った富士北麓公園までの道。最高にキツかったけど、最高だったラスト1kmでした。

ここでは、何を思っていたか、あまり覚えていない。

覚えているのは、色々思い出して泣きそうになるのを我慢していたのと、ここまで来るのにすごく時間が掛かってしまったなぁということです。

その時間は、4年と14時間20分。随分待たせてしまった。

118km地点の君は、歓喜の表情なのか、苦悶の表情なのか、汗なのか、涙なのか、おおよそ判別のつかない、いや、全てが刻み込まれた表情でゴールへ向かって走り抜けていった。

奥さんからの「お帰り!やったね!!」と多くの人からの「お帰り!!」に迎えられ、最高に幸せなゴールでした。

ゴールテープを切り、富士山を眺めながら思わず叫んだ。

ずっとここに自分の脚で帰ってきたかった。本当に嬉しかったです。

「やりきったーっ!!ありがとうございました!!」

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン5LAKESの部完走に挑戦した4年と14時間20分は、いろいろな自分に会え、嬉しい気持ちも悔しい気持ちも色々味わえて、本当に楽しかった。幸せだった。

このゴールするまでの道のりで出会った全ての人に、ありがとうございました。

2023年チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 最終話「4年と14時間20分のゴール」完

コメント

  1. Kenji より:

    すごく感動しました!

    【118kmを走る人は、私とは違う根っからのアスリート】

    そんなイメージがありました。

    でも、拝読していて(言い方は悪いですが)

    「私とおんなじフツーの人やん・・・」

    「私以上にもがき苦しんではったんやな・・・」

    と、いつの間にか私自身と重ね合うところが多いことに気づき

    また、B’zのultra soulの抜粋引用を目にしたときは

    「道中にこのフレーズを思い出してたら、もっと頑張れたかな?」

    と思いました。

    私は100kmの部に出場させてもらいました。

    が、40kmあたりで足が潰れてしまい、90kmのタイム計測ラインを越えたところでリタイアしました。

    来年もおそらく出場すると思います(負けっぱなしは嫌なので)。

    でも、あのしんどさをもう一度体験する覚悟はあるの?

    そんな弱気の虫が出てきたら、こちらのサイトを読み直したいと思います。

    これからも頑張ってください。

    • こばすけ こばすけ より:

      >Kenjiさん
      コメントありがとうございます!

      「感動」なんてありがたいお言葉まで頂き、ありがとうございます。

      先日はチャレンジ富士五湖お疲れ様でした。

      のたうち回ったラストの40kmでした(;^_^A
      75km~85km位が本当にツラい時間で、何度自分に負けそうになったかわからない感じでしたが、その度にultra soulで今回はブチ上がりました!
      ウルトラマラソン走っていると言葉に元気付けられることが本当に多くて、毎回色々な言葉に助けられております。

      長い距離走ると楽しいだけではすまないので、「覚悟」いりますよね!
      僕、毎回ビビりながら覚悟作ってスタートラインに立っております(;^_^A

      Kenjiさん来年も富士五湖出場される予定なのですね!僕もまた懲りずに挑戦すると思います。
      その時はお互い楽しんでいきましょう!(^^)!

      6月の飛騨高山ウルトラマラソン、楽しんできてくださいね!

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