「横浜DeNAベイスターズ、26年ぶりの日本一!!」
なんか、フワフワしたというか、現実のものと思えないというか、不思議な感覚でテレビの前でポカーンとしてしまった。
ベイスターズが強くなっているのはわかっていたし、近々そういうことを成し遂げる予感はあったけど、まさか本当に現実になるとは。
「生きているうちに日本一が見れれば良いですよ」
野球の話を友人や職場の人と話す時は、常にこんなことを言っていた気がする。
「生きているうちに」
などと言っていたら、その瞬間がまさかの2024年11月3日に訪れてしまったのだ。
いや、もう本当にうれしい。
幼少期、初めて連れてってもらった甲子園球場で、超絶アウェイの中阪神に勝った、濃紺のユニホームを纏うチーム。
ほとんど応援のない中で勝つ、その謎のチームに魅せられたこばすけ少年。
その名は横浜大洋ホエールズ。
しかし、そのチームは残念ながら強くはなかった・・・・しかし、ただただ魅力的なチームだった。
その「魅力的なチーム」という遺伝子はそのままに、横浜ベイスターズと球団名は変わり98年に鬼神の強さで日本一に。
しかし、その後は悲惨な悲惨な暗黒時代。
ガラガラのハマスタ、鳴く閑古鳥、飛び交うヤジ、無残に負けを重ねていくベイスターズ。
それでも、何か魅力を感じた。それが何なのかは今でもわからない。
幼少期、大洋ホエールズに魅せられた時は特にこの選手達をすごく目で追っていた。
稲妻フォークの遠藤。
こけしバットの山崎。
ヒゲの明夫。
・・・・時を超えても魅力的な選手はここにあげきれない位たくさんいた。
ある人には「よくあんなに負け続けるチームを応援出来るね」などと言われたこともある。
それでもハマスタでも、自宅でも観戦し続けた。
親会社が変わる時は、横浜から移転することも、球団名が「ベイスターズ」でなくなることも覚悟した。
それでも、DeNAは横浜にベイスターズという球団を残してくれた。
そこからチームは少しづつ強くなっていった。
中でも、中畑監督の時のチームの変化はすごかった。
今の土台を作り上げたのは、間違いなく中畑監督だと思う。
チームの土壌を一から叩き直したというか、戦う集団になっていったように思う。
そしてラミレス監督で勝つ喜び、楽しさを。そして、トゥモアナ精神。
「Tomorrow is another day」
明日には明日の風が吹くという意味だと思うが、この言葉は僕が生きていく上でも大きな意味を持つ言葉となった。切り替えが苦手な僕にとって、すごく背中を押してくれる言葉となった。
そして、三浦監督。
優勝を決めた11/3(日)の前日のネット記事で、11/3(日)予告先発の大貫投手への信頼を問われて、「全員信頼しています」と答えたという記事を仕事の休憩時間に読んで、なんかもう泣きそうになった。
誰を信頼しているとかじゃなくて、全員信頼していると即座に答える、答えられるその人格に、すごく感動した。
一日一日なんだ。といつもインタビューで言っていた。
本当、これがどれだけ難しいことか。
苦しい場面でも、どんな場面でも、そういって前を向き続けた三浦監督、本当に感動した。
あの日、FAで阪神に行っても仕方がないと思って見守っていたハマの番長がベイスターズに残る選択をしてくれた。これは本当にファンの一人としてうれしい出来事だったけど、「本当にいいの?」と思っていた。
あの時のベイスターズに残留するという選択は、とんでもないと思う。すごい選択だと思う。
横浜じゃなければ、200勝出来る投手だと思っていた。今でもそう思っている。
でも、その問いには「俺は横浜の三浦大輔」と即答するカッコよさ。
そのハマの番長が監督となって、ついに日本一を掴んだ。
しかも何の因果か、テレビ中継のゲスト解説は中畑前監督だった。
なんか今までの色々なことがすべて繋がり、結実した不思議で幸せな一夜だった。
ベイスターズ関係者の皆様、選手の皆様、ファンの皆様、本当に本当におめでとうございます!
横浜優勝!!!
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