僕が走り始めたのは2011年。
肩を痛めて、それまでやっていたソフトテニスを辞めて運動不足になってしまった為、一人で出来て、そんなにお金のかからなそうだなということでランニングを始めました(後に「お金がかからない」というのは大きな間違いであったと気づくw)。
当時住んでいた松戸市の21世紀の森と広場の前の道路を週に何回か全力疾走するだけの今思えば謎メニューのランニング。毎回すんごいゼーハーしていたけど、時計はGショックだったのでキロいくつで走ったかとか、何キロ走ったとかは全然わからない。ただ、走るのは楽しいなぁとは感じてました。
大会に挑戦してみる
そんな中で2012年1月に松戸七草マラソンという大会が開催されることを知り、ノリでエントリー。
ランの大会に出るのは初めてですごい新鮮で楽しかった。
かつて営業で担当していた松戸市立病院の前の坂で心肺の限界を迎え、歩き。
心の中で、「松戸市立病院、ここでも俺を苦しめてくるか・・・・」などと悪態をついていたのを覚えています(当時から妄想族ランナーでしたw)
その後の下りで大腿四頭筋が崩壊し、その後も歩き。
当時はまだ走っていない奥さんが応援に来てくれていましたが、「マジキツい!!長いよ10km!!」と言いながら後半は歩いたり、走ったり。
そんな感じで、どうにかゴール。走りの内容とかは覚えていないけど、とにかく楽しかった。
その後は1週間位、脚が痛くてまともに歩けずw
松戸七草マラソンが楽しくてランニングの味を知ってしまった僕は、当時住んでいた家の近所にある二ツ木のスポーツオーソリティでTシャツを買ったり、ランニング用品を買うように(まだ時計はGショック)。
そして同年3月のベジタブルマラソン(ハーフマラソン)にエントリー。
夢の島競技場の周りを何周かする大会だったと記憶しているけど、途中で膝の横が痛くなるわ、10km位でキツくなって歩いてしまうわで、面白かったけど、キツかった。グダグダでしたが、どうにかゴール出来ました。
その後は1か月位、膝の横が痛くて走れずw
次に挑戦した大会は5月。皇居30Kとかいう大会だった気がする。
膝が痛い、周回に飽きたとかで20km位でリタイアw
その後は1か月位、膝が痛くて走れずw
「人生で一度はフルに挑戦してみよう」
そんな感じで、毎回阿鼻叫喚のグダグダながらもハーフマラソンまではゴール出来るようになった。
それまでの戦績は、こんな感じ。
- 10km(松戸七草マラソン):51分
- ハーフマラソン(ベジタブルマラソン):1時間50分
- 30km(皇居30K):20kmでリタイア
今振り返ると、始めたばかりなのに、いいタイムだなぁと自画自賛w
しかし、課題は明確で、どのレースも後半に脚が痛くて歩いてしまっていること。
そして、途中で走ることに飽きてしまう事。
終わってみれば「楽しかったー!!」となるのですが、この2つの課題は大きな壁となっておりました。
「うーん。走るのは楽しいんだけど、脚が痛くなるし、長い距離走るのは飽きるし、キツいなぁ」
こんな感覚が常にありました。
当時感じていたランの楽しさは、
- 相手がいなくてもひとりで出来る事
- 大会で、相手と対戦・・・というよりも共にゴールを目指す感じが新鮮だった
- ド素人なので、知らないことだらけなのが楽しすぎた
こんな感じ。
そんなある日、ちばアクララインマラソンというのが開催されることを知ります。
そして、松戸七草マラソンの観戦後「私も走ってみたい」とランニングを始めていた奥さんが言うのです。
「ねぇ、これ、エントリーしてみようよ」
僕「あ?え?まぁ人生に一度くらい、フルマラソンやってみますか・・・・」
このエントリーが、その後の僕の人生を変えましたw
落選し安堵。二次抽選でまさかの・・・・
2012年。
当時はすごいマラソンブームで、今では考えられない位のクリック合戦だったように記憶しております。
2012年ちばアクアラインマラソンも抽選となり、落選。
正直、ちょっと安堵しました。
走れる気なんて、これっぽっちもなかったから。長い時間走ると飽きちゃうし、脚痛いし。
そんな安堵感もつかの間。二次抽選でまさかの当選・・・・!!
あれよあれよという間に、2012年ちばアクアラインマラソンの出走が決まり、気が付いたら大会当日、スタート地点の木更津の潮浜公園に立っていました。
スタートブロックは最終ブロックのKブロック。あまりの人に圧倒され、そして雰囲気に圧倒され、スタート地点が見えず、スタートセレモニーも号砲も聞こえず、スタートしたかどうかもわからないまま、ゆるゆると僕の初フルマラソンはスタートしました。
フルマラソンの衝撃
・・・・なんだ。
・・・・・なんのお祭りなんだ。
途切れない声援。そして見たことない位大勢の人がコース上を走っている。
アクアラインを走るのは何とも新鮮だった・・・・けど、アクアラインを降りてからは完全に地獄の始まり。
暑い、脚痛い、飽きた。
ズルズルと前進するも、膝の横が痛いし、攣り始めているし、フラフラするしどうしようもない。
どうにか30kmを過ぎた際に「30kmからがフルマラソン」と書いたボードを持ったおじさんがロッキーを流しながら陽気に応援してくれている。
「いやいや・・・ここからがフルマラソンなのだとしたら、阿鼻叫喚で来た今までは何なのか。『フルマラソン・エピソード0』とか、そんな感じですか??」
そんなことを思いながら、ヨタヨタと進んでいく。
自分の親位の年齢の人がスイスイと走って僕を抜いていく。
すげーなぁ。続けていけばあの境地にたどり着けるのかなぁ。
そんなことを思いながらどんどん抜かれていく。こういう時に「負けるか!!」と食らいつかないのが、僕の悪い所だと思うけど、そういう所も嫌いではない。出来ない事は出来ないのだ。準備をちゃんとしていない人間に結果なんてでない。そんな都合の良い世界はない。
しんどすぎて35km過ぎのエイドステーションで一度大の字になって休んでしまい、いよいよ周りで関門閉鎖時刻が迫っているとのことでザワザワし始めた。
僕はというと、完全に準備不足であったことを認めてしまっている為、抵抗の意志すらない。
「楽しかったけど、フルマラソンは無理だ。脚が痛すぎるし、挑戦するだけの体力がないわ」
そんな感じの苦笑いをしているうちに制限時間となってしまい、リタイアバスに乗り込んでスタート/ゴール会場に戻りました。
バスの段差を降りるのも、脚が痛い。
なんとか5時間30分位でゴールした奥さんもボロボロだ。
僕は完走メダルをかけた人を観察していると、ボロボロの人もいるけど「え?あなた本当にフルマラソン走ったの??」って聞きたくなるくらい、ヒョイヒョイ歩いている人がいる。
そんな人たちを見ていると年齢・性別、まったく無関係。
自分の親位の年齢の方が完走メダルかけて、ビール持って青空宴会している。
僕は、芝生になんて座り込んだら、脚がすべて攣ってしまうだろう。
駅の階段も後ろ向きで降りて、ヨレヨレになりながら家へ帰りました。
俺のほうが途中で止めたから距離走っていないのに・・・・なんであの人達あんなに元気なの??
すごいわ。ヤバい。
そんな気持ちで木更津駅を後にしました。
全ての始まり。
大会が終わって数日経つと、なんかフルマラソンに再挑戦してゴールしてみたいという気持ちが湧き上がってきた。
何より、ゴール後もヒョイヒョイ歩いていたランナーの方達、どうみても自分の親位の方もいた。
ランニングは年齢を重ねていっても楽しめるスポーツなんだ・・・すごいなぁ。
そして自分はド素人。伸びしろしかない。鍛えれば、僕もゴール後にヒョイヒョイ歩いて家に帰れるようになるかもしれない。そんなタフさを身につけてみたい。
・・・・よし。やってみよう。
その後、岩本能史さんの書籍「非常識マラソンメソッド」を買い、本格的にランニングを始めました。
そこから、どうにかフルマラソンも完走出来て、何故かウルトラマラソンに挑戦して、初フルから12年経過した今も走っているとは。
本当走るのって、楽しいんです。
そんな僕にとって原点でもある、ちばアクアラインマラソン。
2012年以降も2回出場しましたが、今回もまさかの当選。
良い準備をして、大会を楽しみたい。
そんな訳で、2024年ちばアクアラインマラソン、エントリーしました。
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