ゴジラ-1.0見てきました!
早速感想等書いていきたいと思います・・・が、ここから内容に触れるので、ネタバレなしで見たい方はここから先は読まないで頂ければと思います。
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・・・では、書き始めます。
もうとにかく良かった。音楽も伊福部昭ミュージックが流れれば全身の細胞が反応する感じがあったし、様々なシーンで過去作のオマージュがあったし、子供の頃から全作品を見まくってきた僕としては大満足でした。
今回のゴジラは、過去最凶に人間に対しての敵意があったように感じる。「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」のゴジラがかなり敵意むき出しだったけど、それ以上に感じた。
戦後日本を恐怖と絶望のドン底に叩き落すゴジラ。
様々なシーンで、「ゴジラ、今回はマジで怖え」と思いました。
そして今回、作品からの現代や生きる事、生きていくことへのメッセージが多くセリフや物語に入っていて、いちゴジラ好きとして見に行っただけで大満足のはずが、そっちのメッセージ性にも大満足し、考えさせられた内容でした。
うん。面白かった。
自分に響いた所を、主観まみれ、思い込みまみれでつらつらと書いていきたい。
逃げて、逃げなかった男
主人公は、神木隆之介が演じる元特攻隊員の敷島。
特攻せずに帰国し、それを負い目に感じ、そして周囲からも責められ、ずっと「逃げた」と言われ、自分の事もきっと逃げてしまったと責めている影のある方。
この時代で特攻機に故障があったなどと言って特攻しなかったら何を言われるか、むしろ何をされるかわからない。今現在でも残る同調圧力の歴史上最悪の形が特攻な気がする。
「みんなそうだから」
「みんなしているから、するべきだ」
そういうことに従うよりも、自分の選択に迷いがありつつも、生きることを選んだ敷島。
負い目を感じつつも、戦後復興と同時に幸せのようなものを手に入れつつあったが、どうしても戦時中のことが頭をよぎり幸せを手にしきれないし、影のようなものが付きまとっている。
そんな敷島の幸せを蹂躙するゴジラが現れる。
そこからの敷島はすごかった。
戦争も終わり、復興をしている中でも「俺の戦争はまだ終わっていない」と苦しんでいた敷島。
誰もがゴジラと戦う危険な任務を避ける中で、最前線での任務を遂行する。
「みんなそうしているから」
ではない。自分が、そうしたいからしたのだ。
同調圧力とかそんなものでした意思決定ではない。
「逃げた」と謗られ、それを負い目に感じていた男が逃げなかった事。
誰もが戦争が終わったと暮らしている中で、自分の戦争はまだ終わっていないと苦悩していた事。
誰もが避けるゴジラとの対峙を、自らの意思でする事。
周りがどうか、国がどうか、ではない。
自らの意思で生きる、簡単なことのようで、これは難しい。
敷島の葛藤、選択、生き様は、すごく感じるものがあった。
役割とか、損とか得とか
「誰かが貧乏くじひかなきゃなんねーんだよ」
このセリフを言った佐々木蔵之介が演じる秋津は所々で僕に刺さるセリフをぶっこんできていた。もう一度この作品を見る時は耳をかっぽじってしっかりと聞いて、心に刻みたい。
なんかこれ、すごい刺さったんです。
結構前の仕事の話になりますが、当時所属していた課の社員が大量に退職し一人では到底こなせない量の仕事を押し付けられ、毎日途方に暮れる日々を過ごしたことがあります。そこに上司からの叱責(多分アレはパワハラだと思う。)や自分の割り切り、メンタルコントロールの下手くそさが重なって体調を崩してしまったことがある。
その一件から、「しなくていい余計なことを仕事ではしないように、任されないように、頼まれないように立ち振る舞う」そんなことを思っている自分がいる。
今いる会社では面接で「責任のあるポストには就きたくない」ということを言い放った位、トラウマレベルでそういうことを受けたくない。
しかし、現在はまたしても責任者をやっている。
これについても、色々不満はあるが、まさに「貧乏くじを引いたな」と思っていた。
責任者をやることで、休日も電話が来る。運が悪いと休日返上。他人のことで謝ることも、叱責されることもある。自分の休みたい日に休めない。
これを貧乏くじと呼ばずに何と呼ぶのか。
究極に仕事でやさぐれている時は、そんなことを思う時もある。
ちょうど、ゴジラ-1.0を見た時期は仕事で色々キツいことが続いて、正直「なんで俺ばかり」と思ってしまっていた。
そんな時に、ゴジラに立ち向かうことになった男の「誰が貧乏くじひかなきゃなんねーんだよ」は理屈なしで僕の心に響いた。
色々悪態はついたものの、任されているというありがたさや会社が僕にある程度の信用のようなものを持ってくれていることは感じているし、顧客や一緒に働く人達からもうれしいお言葉を頂くこともあり、僕もそれに気恥ずかしさを感じつつも、やりがいのようなものを感じていることは事実。
でも、以前に仕事で追い込まれて体調を崩したトラウマから、どうしても「なんで俺ばかり」と思う自分がひょいと姿を現す時がある。
まさに、ゴジラ-1.0を観た時はそのタイミングだった。
でも、「ゴジラを倒す」という役割を得た人々の何とも言えない、役割を得た、役割を果たしにいく充実感のようなものを感じる表情と、秋津が言った「誰がか貧乏くじひかなきゃなんねーんだよ」のセリフは、何故か僕の心を揺さぶった。
何で心が揺さぶられたのか、11/4(土)に観てからずっと考えていた。
答えが、わかった。
僕は、「損か、得か」で仕事上では立ち振る舞うようにしているけど、映画の中のゴジラと戦う人々はそういう損得勘定で動いていない。
しかも、僕が仕事上でありがたいお言葉を頂くことがあるのも大体僕が「損だな。こんなことはしたくない」と悪態をつきつつも、僕なりに誠意を尽くしてやったことに対して頂くことが多かった。
今更だけど、ようやく気付いた。
ついつい、仕事上では「損か、得か」だけで動いて、考えてしまいがちだけど、それじゃあお財布は満たされど、心は満たされないんだよ、と、そういうことなのか。
なんかそう思うと、もう少しだけ、仕事も前向きにやってみようか。
他のことも前向きにやってみようか。
そんなことを思った。
「損か、得か」で考えてしまう僕の弱い心、そしてそんな弱い自分を逃げずに見つめ、向き合い続ける強さ。
どれも僕がおそらくは死ぬまで続けていくことになる、心の鍛錬だ。
きっとこれに背を向けてしまったら、僕をマイナスに叩き落してくるゴジラのような災厄が襲ってくるのだろう。
なんせ、ラストシーンでゴジラは死んでいないかのような描写があった。
災厄(ゴジラ)はいつでもやってくる。
だから、僕の心の鍛錬も続く。
すごい楽しかったし、作品中のゴジラと戦う人々から色々と感じることがあった、秋の映画鑑賞でした。
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