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【映画】「すずめの戸締まり」を観て、ちょっと泣いた話

映画
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昨年末、映画「すずめの戸締まり」を見てきました。

面白かった。

この映画のストーリーは、

全世界が待ち望む最新作『すずめの戸締まり』は、
日本各地の廃墟を舞台に、
災いの元となる”扉”を閉めていく少女・すずめの解放と成長を描く現代の冒険物語だ。

映画『すずめの戸締まり』公式サイトより引用

こんな感じのお話。

少女・すずめが災いの元となる扉を閉めていく旅をしていく中で、自分の過去とも向き合っていくという話。

この「扉」の向こうに過去の自分がいて、自分の過去と向き合っていく・・・

これがね、僕にズドンと刺さりました。

刺さって、気が付けば目から汗。

そんな「すずめの戸締まり」を観て感じたことを書いていきたいと思います。

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誰しも心の中にあるはずの扉

災いを防ぐために日本中の忘れられた廃墟にある「扉」を閉めていく旅。

旅を続けていくうちに、扉の向こうに過去の自分を見つける。

これって、観ていて思ったのは自分の心の中にも似たようなものがあるんじゃないかってことでした。

慌ただしい日常の中で、忘れてしまっていた心象風景。

いい思い出。

大事にしていたはずの思い出。

辛すぎて扉を閉めて直視出来ないような思い出。

恥ずかしい思い出。

「今」を生きていく上で向き合ったほうが良い事柄。

それらを直視せずに、向き合わずに打ち捨てておくと扉の向こう側から飛び出してくるのか。

まるで「過去が未来に復讐する」ような感じで。

そんな、僕の心の戸締まりは何だ?

と作品に没頭する中で思いを馳せた。

色々思い当たる扉はありますが、1つの扉について書いてみたいと思います。

鎌倉の長谷寺。

鎌倉の長谷寺。ここは水子供養を受け付けてくれるお寺さん。

ここには定期的にお参りに来ている。

お参りに来るようになったきっかけが起きた時は、自転車を漕いでいるだけで涙が出たりして、心が壊れたんではないかと思った。

もっと辛いであろう妻に対して、支えになれない自分の無力を嘆いた。

もしもあの子が、この世に来ていたら、生まれていたら、あの子の人生はどんな人生だったのだろう。

そう思うと、今でも心の奥がチリチリする。

忘れることなんて当然ないんだけど、数多くある僕の心の扉の中にある事柄で、これが一番大きな扉かもしれない。

このことと向き合うことで僕は、自分に起こるすべてのことに感謝して楽しんで生きようと思える。

登る太陽を眺めているだけで、「あぁ、生きている」と思える。

僕がこうして生きていると思えるのも、些細なことに感謝し感動できるのも、そのことのおかげなのだと思える。

僕がこのことを感じれなくなったら、それはしっかりその事と向き合っていない=劇中で言えば戸締まり出来ていない状態なのだろう。

自分と向き合う為にも定期的にこの扉の前には立っていたいと思っております。

「今」と向き合うには過去ともしっかり向き合うことが重要と感じた

人は過去の積み重ねで今を生きています。

劇中では日本中の廃墟をめぐって戸締まりをしていきますが、それはまるで自分の心の中の旅をして戸締まり(=過去と向き合う)をする比喩のように僕は感じました。

映画を見ながら、自分の心の中の戸締まり(=過去と向き合う)をしていたら、目から何か出ていた訳で。

そんな心の中で旅をするきっかけをくれた映画「すずめの戸締まり」、面白かったです。

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