先日、こんなツイートをした。
今日の帰宅ラン。
— こばすけ (@kobasuke_ricky) June 13, 2023
仕事で昨日今日と心にゆとりが持てず、きっと無惨様みたいな目をしていたに違いない💦
ゆとりとか余白とか、そういうの大事。
そんなことを考えながらのんびりと走りました。
ゆとり、余白、大切に(自分に言い聞かせ)#ランニング pic.twitter.com/VzmR09cE9i
「仕事で心にゆとりが持てない」
「ゆとりとか余白とか、そういうの大切」
自分に言い聞かせる意味で書きましたが、本当にこれ大事。
大事ではあるんですが、日々のアレやコレやの中で、その思いが埋没してしまうことも多々あります。
そして、その行きつく先まで行ってしまったこともあるからこそ、自らを律してやっていきたい。
心にゆとりがあろうが、なかろうが、目の前の現実は変わらない。
ならば、心にゆとりを持って対峙していったほうが良いのではないか。
仕事にせよ、趣味のランにせよ、なんでもそう。
心にはゆとりがあった方が、結果的にハイパフォーマンスだ。
頭では理解しているけど、心が付いていかない。
こういう終わりのない鍛錬こそが、大切なのだと思う。
鋼のように強いメンタルでなくて良い。
どんな状況でも飄々としていられる、しなやかなメンタル。
追い込まれた状況でも、考えることを諦めず、やることをひとつひとつ取り組んでいけて、それを楽しめるメンタル。
まだまだその域には到達できそうにありませんし、生きているうちに到達出来るのかもわかりません。
でも「そうありたい」と思っていないと到達出来ないのも事実なので、思い続け、行動し続けたいと思います。
余裕、ゆとりの必要性
余裕、ゆとりを持たないとなぁと僕が思う理由は「張り詰めた状態が続いて、キャパを超えると、自分自身や物事が破綻してしまうから」です。
- 余裕がなくなって、人に八つ当たりして人間関係が破綻
- スポーツや仕事で余裕がなくなると視野狭窄に陥り、やろうとしていることが破綻する
- 余裕がなく、気が付いたら心身を病んでしまう
他にも挙げていけば山のようにあるだろう。
よく「常に自身の限界までやらないと、力は伸びない」などと言う向きもあるが、それは本当だろうかと僕は思う。
自身の限界に常にある状態が続いたら、破綻するのではないかと思う。少なくとも僕は破綻したことがある。
だから、ある程度余裕やゆとりを持った方が良いのではないかと思っている。
何故かというと、ゆとりをいくら持っていても「あれ、ゆとりなくなっているぞ」と思う瞬間は必ず訪れるからだ。
想定外のトラブル、仕事量の案件増加、対応すべきことの一時的な増加、過密状態。
プライベートだって、色々ある。
生きていれば、コントロール出来ないことだらけだ。
これらに対応している時は、おそらくは先述した「自身の限界」に近づいているのではと思う。
ここで大切なのは、「常に自分の限界と思われる状態で居続けないこと」だ。
必ず、緩める、ゆとりを持つ時を作る。
常に張り詰めた風船のような状態では、わずかな刺激でパーンと破裂してしまうことだろう。
だから、一時的に張り詰めてしまうことはあったとしても、通常状態では余裕を持っておく。
そうやって、張った状態と余裕を持った状態を繰り返していくことで、張った状態での持続時間や張れる強度のようなものに対する耐性も付いていくような感じがします。
スポーツトレーニングの超回復理論のように。
終わりのない、心の鍛錬
心に、気持ちに余裕を持つというのは、結局の所僕が死ぬ時まで続けていく鍛錬なのだろうなと思っています。
それを続けていって、飄々と余裕のある感じでやっていきたい。
こんな願いを持っていても、時には張り詰めてしまうこともあるだろう。
そういう時に、いかに自分を俯瞰して余裕を持てるか。
余裕の無い自分を俯瞰し、笑い飛ばすほどの余裕を持てるか。
余裕の無い自分に気づき、自ら余裕を持つべく自分にアプローチを掛けられるか。
どれも一筋縄ではいかない、僕の終わりなき心の鍛錬。
余裕を持って、飄々としていたい。
コメント