チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンが近づいてきました。
すでに3回挑戦して、3回ともDNF。
それほどに、僕にとって118kmを15時間で走る壁は高い。
エントリーする前から「このチャレンジは現実的ではない。時期尚早。」と思ったり、また収容バスに乗るのも嫌だなぁとか、考えておりました。
なんか、未知の距離がどうだとか、制限時間がとか、走力がとか、色々考えているものの、結局の所「失敗を恐れていないか?」と思ったのです。
元々マッドサイエンティスト気質で、面白がって色々挑戦しては失敗して、笑い飛ばしてきましたがどうも最近失敗を恐れている。
ランニングに限らず、他のことでも。
「失敗を恐れていないか?」
こう自分に問い続けたい。
挑戦をせず、したり顔で講釈を言っている大人より、失敗して「ダメだこりゃ」と笑っているいい意味でバカな大人でありたい。
気が付いたら42歳。未だ、勝利はない。
気が付いたら、もう40歳を超えてしまった。
気持ち的には全然そんな感じではないつもりですが、失敗を恐れるようになってきたのは、年を取ったのかなと思いました。
はっきり言って、負けばかりの人生。
「負け」というと、トボトボ敗走するような感じをイメージしてしまいますが、「ダメだこりゃ」って笑っている感じです。
周りから、「そりゃ無理だろ!!」と言われるようなことにも挑戦し、失敗して「やっぱりね」と言われたこともあります。
それでもいいんです。
やっぱり、挑戦してみないと見えないもの、わからないことがある。
失敗は、挑戦したからこそ得られるもの
失敗したことで、複数ある方法の一つを潰せたという目に見えて得られるものもありますが、僕はそういうモノ以外の得られるものがあると思っています。
それは、
- 挑戦している時のワクワク感
- 失敗した時の残念な気持ち
- 失敗を受け入れる謙虚な気持ち
- 「いつかやろう」と思っていたことを一つ出来た充実感
- 挑戦を通じて、新しい自分に会える
どれも、挑戦しないと得られないことばかりだと思っています。
「出来る時がきたら」
「挑戦出来る力量をつけたら」
「時間が出来たら」
「失敗したら恥ずかしい」
そんな気持ちで挑戦していないと、いつまでも「いつか」「いつか」と言っているうちに時が流れてしまうように思っております。
その「いつか」は自らにつかみ取る気持ちがないと、永遠に訪れません。
挑戦と失敗を繰り返す、愚かな大人でありたい
そもそも何を以って成功とするか、失敗とするかもとても曖昧だと思います。
そう考えていくと、失敗したことすら成功なのかもしれない。
挑戦しないことこそが、失敗なのかもしれない。
ちょっとだけでいい。
自分の枠から踏み出してみる。
全然違う景色が、体験が出来て、新しい自分に会えるかもしれない。
挑戦して、はじき返されて、それでも笑っているいい意味でバカな大人でありたい。
いつでも、僕は挑戦者でありたい。
いい意味で、バカであれ。愚かであれ。
だからこそ、節目節目で自らに問おうと思います。
「失敗を恐れてはいないか?」と。
コメント