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学生時代、敗戦であれだけ泣いた理由が箱根駅伝の予選会を見ていてやっとわかった

僕が思う事
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箱根駅伝の予選会。

自分と奥さんの母校も予選会からとなった為、今回はより力を入れて見ていました。

通過して本戦へ進む学校もあれば、通過できない学校もある。

「おいおいそこまでカメラ寄るのか?」

と思う位、敗退して泣いている選手に寄って中継している。

見ていてグッとくる位、気持ちの塊のようなものが画面からダダ漏れになっている。

こういう時に、僕もそんな時があったなぁと思わず学生時代を思い出してしまう。

何故学生時代は敗戦するとあそこまで泣けたのか、箱根駅伝の予選会を見ていて少しわかった気がしたので書いてみようと思います。

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僕の学生時代

僕の学生時代は、ソフトテニスをしていました。

中学は、なんとなく県大会出れればいいなぁでやっていて達成出来ました。

高校、インターハイ出場を目標にしていたが行けず。

大学、所属リーグの個人戦と団体戦優勝を目標にしていたが届かず。

未達、未達の嵐。

それもそうで、ほとんどの人が負けるんです。それがスポーツ。

自分なりには相当がんばりました。

今では考えられませんが故障を押して痛み止め飲んで強行出場したりもしました。

本気で勝つためにチームメイトとミーティングで衝突したりもしました。

すべての日々が、目標達成に続いていく道だと信じて。

しかし、目標は届かずに終わってしまい、自分の不甲斐なさ、もっとそれまでにやれたのではないかという自責の念、チームに対する申し訳なさ、感謝の気持ち、そんな気持ちがごっちゃになって、最後の試合の後は涙が止まりませんでした。

社会人になってからはスポーツで上手くいかないことがあっても泣くようなことはなく、感謝の気持ちや申し訳ない気持ちはあってもドライに過ごせていて、「あぁ、俺も大人になったのかな」とか思っていましたが、どうもそういう訳ではなかったようです。

箱根駅伝の予選会を見ていてやっと答えがわかった

自分が何故学生時代の最後の試合の後、泣いたのかずっと言語化出来るレベルでわかっていなかったのですが箱根駅伝の予選会を見ていて、やっと答えがわかりました。

大学の4年間を終えて、卒業してしまったらもう挑戦することが不可能になるからです(留年等すれば別ですが)。

目標が「時の扉」によって固く閉ざされてしまう

そういうことか!

と、思いました。

インターハイも、高校生しか行けません。

いつも大学生の時に思っていました。インターハイに出場経験のある選手に大学時代に僕が勝ってもインターハイに出れる訳ではありません(当たり前ですが)。

大学生になって、何故か数段成長を遂げてしまった技術力を以ってすればインターハイに出場することは出来そうですが、大学生ではインターハイに挑戦することは当たり前ですが出来ません。

箱根駅伝もそう。

その時、その年齢の時にしか挑戦出来ないもの。

挑戦出来る時期を過ぎてしまったら、「時の扉」によって固く閉ざされ、チャレンジすら許されないものになります。

だからこそ、尊い目標となり、それぞれにとってかけがいのないものとなるのだと思いました。

挑戦を止めさえしなければ「次」がある社会人

学生時代、目標が未達だった僕は社会人になってもソフトテニスを続けます。

肩がダメになる30歳手前まで続けました。

東京都で個人戦3位入賞を目指していましたが未達でした。

もう肩がボロボロで、これ以上は無理と思ったのでそこでスパっとソフトテニスは辞めてランニングを始めます。

社会人になって、ソフトテニスやランニングをしていて思うのは自分が辞めると決めない限りは挑戦を続けられるという点が、学生の時との大きな違いなのだと思いました。

どちらがいいのかはわかりませんが。

学生時代の目標は、タイムリミットがあります。未達ならば未達でそこで強制終了です。

社会人になってからの目標には、タイムリミットはありません。

自分が辞めない限り挑戦を続けられます。これはこれでキツいなと思う時もありますが。

学生時代にやるスポーツと社会人になってからやるスポーツ、どちらも面白さも尊さもありますが、たまたま箱根駅伝の予選会を見ていて、20年位前の自分の涙の理由がわかった気がしました。

今の自分の立場は「自分が辞めない限り挑戦を続けられる立場」ということがわかりました。

もう時の扉に閉ざされたかつての未達に終わった目標達を眩しく思いつつ、

これからも、ランニングに限らず他の事も、色々挑戦して楽しんでいこうと思います。

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