この記事がアップされる頃は本当ならば、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンに出走していて北麓公園を過ぎて船津の下り坂を走っている時間帯のはず。
先日、今年のチャレンジ富士五湖と野辺山ウルトラマラソンをDNSすることに決めた。
相当悩んで悩んで決めたことで、しかも決めたのに、未だに走りながらボーッと走りたかったなぁとか、行けば行ったなりにどうにかなったのではないか?
などと思う。
DNSの理由となった家庭事情の大きな柱の親族の住宅ローン破綻と債務問題。
少しずつではあるが、確実に進んでいて、売却する家の内覧があったり、来週は弁護士と面会する。
これらに対応するストレスや、金銭的損害を被弾するかもしれないというストレス、そしてその問題が頭から離れないモヤモヤ、それらのストレスが体調に影響を与え始めているので、やることを減らすしかない、そして優先順位的にウルトラマラソンを断念するしかないという結論に至り、この日を迎えた。
この判断は、体調の事を考えれば正しかったと思う。
DNSを決めてから、走ることを数日休み、その後も走る量を減らしたら、とりあえず一番悪い状態は脱した。
だから、良かったのだと思う。
だけどだけど、体調が良くなってくると、「これだったら、イケたんじゃね?」などと思ってしまう。
でも、これは違う。
やることを減らしたから、体調が良くなったのだ。
精神状態にも、ゆとりが出来たのだ。
いつも、思う。
「何かを選ぶということは、何かを選ばないということ」
今回の場合、「選ばなかった何か」とは、富士五湖や野辺山を走って、いい景色を楽しんだり、色々な方とのやりとりを楽しんだり、自分との対話を楽しんだり、ゴールに向かっていく感じを楽しんだり、極上の筋疲労を味わったり、その果てでゴールなのか、それとも残念ながら・・・なのかはわからないけれど、その日なりの全力を尽くした感じを味わうことだったりするのだろう。
何度やっても、あの非日常は僕にとって極上だ。
では、今回「選んだ何か」は何なのか?
それを意識していないから、こんなに未だにウダウダと考えてモヤっているのだと思う。
今回選んだ何かは、
「やることを整理して、どうにか元気で今の問題に取り組む自分」
なのだと思う。
元気であることは大切だ。
メンタル、もしくは体調を本当に壊してしまうと回復にものすごい時間を要する(実体験から本当にそう思う)。
きっと野辺山ウルトラマラソンが終わるまでは、ウダウダと考えてしまうこともあるだろう。
でも、その時は僕が選んだものは何か。それを何度でも思い出していきたいと思う。
人生は選択の連続だ。
ついつい、選択しなかった事、手放した事に目が行ってしまいがちな弱い自分ですが、そこばかり見ていないで、手にしたものをしっかりと見て、握りしめていきたい。
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