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元気にスタートラインに立てるというありがたさ

僕が思う事
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いつも、ランニングの大会の前は最終的に「元気にスタートラインに立てるように」と思っている。

トレーニングが万全か、何か不安がないか、望んだ感じで走れるか、それも大切だけれど当日になってしまえば「元気にスタートラインに立てる」ということが一番大切な気がする。

何故そう思うかというと、元気にスタートラインに立てているからこそ、挑戦出来たり、挑戦の結果及ばない悔しさだったり、何より体調面での心配なく大会を楽しめるからだ。

僕は、そこを最優先で大会に向けてトレーニングをしてますが、この記事をアップした日に開催されるしまだ大井川マラソンは元気にスタートラインに立つことは厳しそう。

この記事を書いている10/28(土)時点で、2日前にやった背中の寝違えは確実に回復しているけど、まだ鈍い痛みがある。

出走する準備はしているし、奥さんが走るから、とりあえず会場へは行くので直前まで体の様子を見ていこうと考えております。

トレーニングのし過ぎで故障とかでなく、背中の寝違えでこういう事態になるあたり、さすがのスぺ体質(数年前も奥武蔵ウルトラマラソンの数日前に同じことになったが、どうにか回復し完走出来た)。

こういうことがあると、しみじみ思う「元気にスタートラインに立てる」ということのありがたさ。

ランニング以外でも、ほとんどの挑戦で元気にスタートラインに立てていますが、残念ながら立てなかったこともありました。

高校生の時、大会の前日に盲腸になり緊急手術になってしまったり、

大学受験で、電車が事故で止まり開始時刻に間に合わなかったり(措置のおかげで大丈夫だったが)、

日光ウルトラマラソンを、貧血でDNSしたり、

大学最後の試合を故障で出場出来なかったり。

軽く思い出してみると、これくらいしかないので僕は運がいいし恵まれていると思うのですが、どれも自分の中では残念な気持ちになった大きなエピソードだった。

ただ、これらの出来事があったからこそ、元気にスタートラインに立てるありがたさを感じるようになったし、そこを重要視するようになった。

ランニングでも、他の趣味でも、仕事でも、学問でも、何でも元気にスタートラインに立てるからこそ、味わえるものがある。

スタートラインに立たないと、何も始まらない。

達成や勝利のうれしさも、

目標未達や敗戦の悔しさも。

いつも、元気にスタートラインに立てたことに感謝してスタートしているけど、今回のことでより実感しました。

次、元気にスタートラインに立てた時にはより感謝して、スタートしていきたいと思う。

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