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【精神力って無限なの?】メンタルの限界について考える

僕が思う事
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先日、今年のウルトラマラソンチャレンジはしないこととしました。

事情はこの記事に書いた通り。

よく、体の疲れは寝て取りましょうとか、これを食べると良いとか、色々なリカバリー方法が提唱されている。

これに対して、メンタルの疲れ。

これに対しても息抜きの方法も色々あるが、どちらかというと「体は有限で、メンタルは無限」みたいな考え方ってあるように思うし、もう20年近く前になるがメンタルを仕事のストレスでぶっ壊し、派手に体調も悪くなった際に「メンタルは無限じゃねえ」って痛感した。

それ以来、休むようになった。人に合わせるのを止めた。仕事もプライベートもしたくないことはしなくなった。何もしないことが苦手だったけど、何もしないでゆっくり過ごすことを楽しむようにした。

息抜きに何かをするのも、いい気分転換だけど、何もしないのもかなりいい気分転換。

それはまるで、自分を充電するような感じ。

そしてまだ途上ではあるけれど、自分の物事の捉え方、考え方を変えていくこと。

具体的には、「コントロール出来ること」と「コントロール出来ないこと」を分けて考え、前者には取り組むが、後者は自分にはどうにも出来ないので執着しない。考えない。という感じに捉えること。

結局メンタルが追い込まれる時、僕の場合はこの「コントロール出来ること」と「出来ないこと」の区別が出来なくなって、全て何とかしようとしたり、頭の中でずっとグルグル回ってしまって切り替えられなかったりしてしまうことが多い。

今回、そういったメンタルのスキル的な部分にも課題はあったけれど、もうひとつ思ったのが、「メンタル系のストレスも許容量あるよね?」ということ。

ひとつひとつ切り取って考えれば、問題ないレベルでも、トータルすると許容量を上回るというかそんな感じ。

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メンタルの許容量を考える

今回、ウルトラマラソンを止める原因となった家庭問題。

それだけではなく、他にもウルトラマラソンへ向けての準備と並行して日々の仕事。

どれもひとつひとつを切り取れば、そんな耐えられないような感じの代物ではない気がする。

以前、メンタルと体をぶっ壊した時と比べれば、ひとつひとつを見れば些細なものだ。

それは、つよがりでも何でもなく、そう思う。

でも、家庭問題の勃発で、漫画「カイジ」でしか見たことのないような債務、夕方のニュースやインターネットの世界でしか見たことのない住宅ローン破綻。自分達にも損害が振りかかってくる可能性がある状況に対峙することが続いていた。自分たちに落ち度がある問題ではないものの、当事者の方の対応では事態の収束は厳しく、こちらで対応することでようやく事態の収束へ向けて進み始めた。正直言って、これのストレスは僕にとって尋常ではない感じだった。

それに加えて、仕事、日々のこと、ウルトラマラソンに向けてのトレーニングだって楽しいけれど肉体的なストレスや長距離走る精神的なストレスもあるだろう。

特に家庭問題の対応のことで、頭の中でそのことがランニング中も、仕事中も、何をしていてもグルグル回り、それも相当なストレスだった。

「今そのことを考えた所で事態は良くなる訳ではないから切り替えよう」

そう頭では理解しているものの、なかなか切り替えがうまく出来ない自分に対してもストレスが溜まってくる。

ウルトラマラソンに向けてのロングジョグでもそのことが頭をよぎる。集中出来ない自分にも苛立ちを感じたし、こんな感じで本番は走れるのだろうか。いや無理だろ。と、脚が止まってしまうこともあった。そういう弱い自分に対してもストレスが溜まっていた。

・・・・気が付いたら、コップから水が溢れ出すが如く、アップアップになっていた。

かつて、若かりし日に許容量を超えて人生の夏休みを長期取得することになってしまった時程ではないが、あの時の感じに近づきつつある感じ。

・・・いかん。これは、コップの中に注ぎ込む水の量(やる事)を減らさなくては。

本当は、アレも、コレも、すべてドンとこなせるようなスーパーマンに憧れる気持ちがある。

でも、残念ながら僕はそうではないようだ。

コップからあふれ出た水はやがて、床に垂れて、その床を腐らせるだろう。

そんな感じで、僕が腐っていく。

まだ自分のキャパシティの限界を超えたことのない僕ならば、このまま突っ走って行っても不思議はないが、僕は一度超えてしまった身。同じ轍を踏む訳にはいかない。

やることの整理と断捨離

まずは、やりたいこと、やらなきゃいけないことの整理だ。

【やりたいこと】

  • チャレンジ富士五湖・野辺山ウルトラに出走したい
  • 元気に暮らしたい(「子供か」という突っ込みもあるかと思いますが、これ、大事だと思うんです)

【やらなきゃいけないこと】

  • 仕事(これしないと生活が破綻する件。FIREでも出来たらいいのですがねぇ(;^_^A)
  • 家庭問題の対応(親族だし、損害が振りかかる可能性もあり、放置出来ない。)

この中で優先順位をつけて並べていくと、

①元気に暮らしたい

②仕事

③家庭問題の対応

④チャレンジ富士五湖・野辺山ウルトラに出走したい

どう考えても、こうだった。

突き詰めて考えれば、ウルトラマラソンの大会に出れなくても走ることは出来る。

僕にとって100kmとか118km走ることも、走る為にする準備も、楽しい反面、メンタルの力も相当消費する。

今回、③の家庭問題の対応が相当メンタルへのダメージが大きい。だけど、これからは逃げる訳にはいかないし、当事者の方との関係性上、知らん顔も出来ない。

やりたいことを優先して生きていきたい気持ちがもちろんあるし、そうありたい。

でも、そうもいかない悲しい現実もある。そんなシケた現実には目を背けていたいけど、そうもいかない。

逃げたことは、後から束になって襲い掛かってくる。今回の事もそんな感じ。最悪の場合、我が家にも大きな額の損害がくる可能性がある。

だから、知らん顔は出来ない。

今回、すべてをやろうとすると、キャパシティを超えてしまう。アップアップなだけでなく、めまいを起こしたり、明らかに体調にも異変が起こっていた。

だから、現状優先順位の低い④のウルトラマラソンはやめよう。

やることの断捨離だ。残念だけど。今も後ろ髪を引かれるけど。

断捨離後の僕

こうして、やることの断捨離をして、今年のウルトラマラソンチャレンジは止めることとした。

「後悔はないのか?」

「ないです!!」

と断言出来たらカッコいいけど、僕はそんなにカッコよくない。

でも、確実に言えることは、少しだけ精神的にゆとりが出来た。

いっぱいいっぱいだったメンタルのキャパシティにゆとりが生まれたのだ。

「精神力は無限大だ!!」と言えたらどれだけ良いかと思うけれど、どうやら僕はそうではないようだ。

でも、自分のキャパシティを知っていて、やることの断捨離を行ったおかげでどうにかアップアップの状態は脱した。体調も良くなった。

僕の精神力は無限大ではないようだけど、そうでないからこそ、今回はやることの断捨離が出来たし、優先順位の①である「元気で暮らしたい」をどうにか実現出来ている。

心身共に、キャパシティはある。きっと許容量に個人差はあると思うけど、限度は誰にでもあると思う。

これからも、心身のキャパシティの状態に気を配りつつ、生きていきたい。

元気で、生きることを楽しんでいく為に。

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