先日、台風が接近している時に喘息の症状がキツくなったり、頭が痛くなることがありました。
その時ふと思ったのです。
「昔は喘息ではなかったし、頭が痛くなることもなかったな」
と。
老化なのかなんなのか、小麦アレルギーにも大人になってからなったし。
そう考えると、僕の体も30代の後半からかなり変わったなぁ。
以前と比べると、色々変わっています。
悪くなっている部分もあれば、良くなっている部分もあります。
身体的な変化もですが、精神的にも変化があるように思います。
自分だけでなく、周りもどんどん変わっていっています。
色々変わっていっている今日この頃ですが、基本的には川の流れを見つめるが如くそれを眺めている日々です。
自分も、物事も移り変わっていく
「変わる」っていうことに対してネガティブなイメージを持つ人もいると思います。
僕だって毛髪事情は変わりたくなかった(今その話はしなくて良い件)
少しふざけましたが、「変わってしまったこと」に対して固執・執着してしまうとあまり良くないなと思ったのです。
こんなことを言うと怪しい感じですが、人も生物である限り日々死に向かって行っている訳です。
生物として、寿命を迎えるまで日々、体も心も変化を続けます。
この地球上にいるすべての生き物がその変化を免れることはできません。
そして、人の欲求もとどまる所を知りません。
良いか悪いかは別として、その欲求で文明はここまで発達したのだろうと思っております。
きっと10年後の世界は、今では想像出来ないようなテクノロジーやサービスが出ているのではないかと思います。
そんな風に、変わっていくのを「良い」か「悪い」かで捉えるのではなく、「そういうもの」として眺めていたいと思っております。
変わっていくものと、折り合っていく
僕の好きなミスチルの「進化論」という曲にこんなフレーズがあります。
変わらないことがあるとすれば
皆 変わってくってことじゃないかな?
Mr.Children「進化論」より引用
「変わったこと」に固執・執着することって、なんだか今を生きていない感じがして嫌だなと思ったんです。
僕の場合だと、喘息と小麦アレルギーや頭痛持ちになった事実は変えられないし、そうでなかった過去を振り返って「昔は何もそういうことで悩まなかったのに」と思っても何もプラスにはなりません。
きっとこうやって色々出来ることが増えたり、出来なくなることも増えて生きていくのだと思っております。
その時に、あまりその変わってしまったことに執着せずに飄々としていたい。
あぁ、そうですか。じゃあしゃあないですな。こうやって楽しみますか。
これくらい飄々としていたい。
そんな感じで変わっていく自分や周囲、世の中と折り合いながら、今を楽しみ倒して生きていきたいなと思った話でした。
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