【景品表示法に基づく表記】本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれている場合があります

2025年野辺山ウルトラマラソン振り返り 最終話「野辺山を初めて走ってからの10年とこれから」に続く。

野辺山ウルトラマラソン
スポンサーリンク

最終関門の川上村原公民館からゴールまではあと約16km。

ここまでもあんな坂やこんな坂を乗り越えてきた。

ここまでも、キツさに何度となく理性は崩壊しかけ、懸案事項の脚もいよいよ制御不能に陥りつつある。痛み、痙攣、痛み、痙攣の無限ループ。

そして、今回痛感したのが故障とは関係なしに脚の耐久性のようなものが下がっていること。

前回の2023年野辺山ウルトラマラソンに出た時は350~400km/月はコンスタントに走っていた。

それに対して、昨年~今年は色々あって300km前後/月。何度か200km台ということもあった。

人によって月間走行距離の最適距離は異なるだろうけど、昨年~今年のこの距離は僕にとっては少なかったようで、懸案事項を抱えている右大腿四頭筋以外も、85kmを超えたあたりからそこかしこに痛みが出始めていて、一昨年までウルトラを走っていた時とは段違いの状況だ。

「いてえ、いてえ」

全く走行不能という訳ではない。ただ、すごく久しぶりに味わう痛み。

これに、これまでがんばって作ってきた制限時間に対しての貯金が僕に対して甘い誘惑をしてくる。

「そんなに痛いなら、この先全部歩いてもゴール出来るよ・・・」

この誘惑には、かなり心を揺さぶられた。

ゴールまでは3時間以上あるという事実。

確かに、歩くしか出来ないなら、それも良い選択肢だと思う。

でも、まだそれを選ぶ時じゃないんだ。

そりゃ、全部走ることは出来ないだろうし、結構な量歩くだろう。

でも、可能な限り走ろうとする。

この姿勢は、崩したくない。

そんな思いで、ゴールに向けて最終関門を出発した。

スポンサーリンク

野辺山との、この日最後の戦い

ここから先、市街地を抜けた後はゆるやかに登りつつ永遠に続くのではないかと感じる畑沿いの道。

何度走っても、永遠に終わらないように感じるし景色も変わらないように感じる。まさに無限回廊。

これ、大人になってからの人生のようだって感じるんです。

子供の時は、一年ごとにクラス替えがあって、小学校、中学校、高校、大学と自動的に外部が設けた節目があるけど、社会人になって働き始めると、途端にそういった節目のようなものがなくなり(正確には人事異動とか転職とかあるけど)、なんかずっと同じことの繰り返しをしているような気分になってくる。

自分に、何も変化があるような感じがしない。同じようなことの繰り返し。

ミスチルの「擬態」じゃないけど「ビハインドから始まった 今日も同じスコアに終わった」のような感じを繰り返す日々。

でも、それをどんな心持ちで向き合えるかで、同じようなことも違って見えるし、正確に言えば全く同じことをしていても自分も変化しているし、相手も変化している、社会情勢も変化している。

自分の目と心が濁っていて、解像度が下がりに下がっているから、同じことの繰り返しのように思えてくるだけで、結局これも自分次第なのだ・・・ということに気づくと、楽しさを見いだせたりしてくる。仕事への対峙の仕方が変わってくる。

自分の目と心の濁りを取っていって、解像度を上げる努力をしていくと、見え方が変わってくる。

現実ってのは、自分の心次第でなんとでも解釈が変わってくる。

世界で一番美味しかったマウンテンデュー。

そんなことを自販機で買ったマウンテンデューを飲みながらヨタヨタ走りつつ思う。

ここからの道のりも、自分の心次第だ。

進んでいる気がしないのは、自分が進もうとしないからだ。進んでいかないからだ。心が前向きになっていないからだ。

そう言い聞かせ、進んで行く。

しかし、こんな綺麗ごとも脆く崩れていきそうなくらい、圧倒的な進んでいない感。

圧倒的進んでいない感のある直線。まさに無限回廊。

いてえ、いてえ。つかれた。

脳内で出てくる単語が完全にひらがなに変わってしまうくらい、痛みと疲労で思考力が奪われつつある。

電柱を2本走ったら、1本歩く。

ひたすらそれを繰り返す。途中からは「電柱を2本走ったら、2本歩く」に歩きを増やした。

なんかこんなに必死で電柱を数えていると、電柱って、電力を供給するだけじゃなくて、僕に前へ進む力も供給してくれているのかもしれない・・・とか、変なことを考えながら一人でニヤニヤしておりました。ありがとう電柱。ありがとう東京電力。いや、ここは中部電力か?知らんけど。

そんな感じでひたすら進んでいくと、やがて大会会場のアナウンスが聞こえてきた。

聖地巡礼

ついに後5kmの所まで来た!!

今回は、ここから国立天文台を経由するコース。

正直言って、今回ここを通れるのは楽しみだったけどここまでこれるのか不安で仕方なかった。

実際、前日の奥さんとの会話では「俺は聖地巡礼出来るかわかんねーよ」とか言っていたし。

でも、なんだかんだで、どうにかこうにか聖地巡礼も出来そうだ。

チャレンジ富士五湖の後に、観に行きました。

この名探偵コナンの映画のタイトルのオマージュとして「大会版こばすけの日記 右足の崩壊(カタストロフィ)」というタイトルを思いついて、この完走レポに使えないかヨレヨレになりながら考えたけど、結局ボツだったので、ここに書いておきたいと思う(;^_^A

そんな感じで名探偵コナンの聖地巡礼。

こういう研究機関とか、大好きで。途中途中にあった施設の説明とか書いた看板も読みたかったけど今はそれどころじゃない。とりあえず、前進だ。これは大会じゃない時にのんびり遊びに来るしかない。

でも、こういう観光地巡りできるコース、楽しくて大好きです。日光江戸村、東武ワールドスクウェア、いろは坂とかを巡れた日光ウルトラマラソンを思い出しました。

そんな感じで、97km走った後にするエクストリーム聖地巡礼を終えて、ついにゴールへ。

10年前、初めてこの地でウルトラマラソンを走った

ついにあと1kmとなった。

今回、野辺山ウルトラマラソンの大会事務局からのメールか何かに「心の記憶に残る最高の一日を目指す一日にしてください」というような言葉があった。

確かに、僕は野辺山ウルトラマラソンを走ったことで、心の記憶に残るどころか、もっと強烈な何かを僕の心に、人生に残したように思う。

カイジ的な言い回しをすれば「脳を焼かれた」のだろう。

10年前のこと。

「ウルトラマラソンを走ってみよう。今申し込めるのは野辺山ウルトラって大会で、前日受付も不要だから、土曜日仕事の俺らでも参加できるね!」

などと軽いノリでエントリーをして、その後にコースがヤバいとか東の横綱とか色々知ったけど後の祭り。

そんな感じで走り出した10年前は、23kmの林道ゲートでエントリーしたことを後悔するレベルでボロボロになっていた。そこからさらにボロボロになりながら13時間57分でゴール出来た。

あの時のゴールまでラスト1km位の物凄い応援と圧倒的かつ強烈な達成感と安堵感、ゴール手前のエネオスを曲がった後のゴールゲートが光り輝いて見えた感じ。

光り輝くゴールゲートまでの道のりは、両サイド人垣で埋め尽くされてて、すごい声援の中、ありがとうと言いながらゴールへ走っていった。なんか、すごい体験だった。僕の語彙力では「脳を焼かれた」以外の表現が見当たらないんだけど、最高に幸せなゴールだった。

今でも奥さんと「色々な大会を走って一番今までで最高だった大会は?」という話題になると完全一致で2015年の野辺山ウルトラマラソンとなる。

それから「毎年野辺山ウルトラマラソンを走れる体を作る」ということが、日々のルーティンとなった。

通勤はザックを担いで走っていくようになった。

スピード系にも取り組むようになった。

体のケアにも気を使うようになった。

走ることがもっと楽しくなった。

そして何より、自分の性格も少し変わったような気がする。

少し長期目線でものを考えれるようになった・・・というか、我慢できるようになった・・・というか、物事に動じなくなったというか・・・まだまだヘナチョコなんだけど、ランニングの時も、それ以外の時も、少しは強くなったような気がする。

そんな自分の変化を、野辺山に挑み続ける中で確かに感じる10年だった。

夫婦で乗り越えなきゃいけない大きな大きな悲しみと対峙した時も、何故か野辺山に星を眺めにきた。

昨年からの家庭のゴタゴタで走力がガタ落ちとなった時も「野辺山をゴールできる体にする」という一念で取り組んできた。

僕の中で気が付いたら野辺山が大きな存在となっていった。

・・・本当に、本当に、今日出走することが出来て、そしてゴールまでこれて良かった。

視線の先にエネオスが見えてきた。

エネオスの所を曲がったら、ゴールだ。

いよいよ、心の記憶に残るであろう最高の一日もいよいよフィナーレだ。

僕にとって、大切なこと

昨年は家庭のゴタゴタで野辺山に出走出来ず、その後も体調を崩したり、思うように走れないことから苛立ったり、落ち込んだりしてきた。

そもそも走ること云々の前に自分の人生、どうなるの?

というような危機を昨年の今頃は迎えていた。

あまりに辛すぎて、昨年の今頃の記憶はあまりないくらいだ。

その中で、色々な思いを飲み込んで、ひとつひとつやってきた。

蹲ったこともあったし、放り投げたくなるような時もあった。

でも、自分を奮い立たせて、どうにか問題をひとつひとつ片付けて、最大の危機は回避することが出来た。

その後、ようやくゴタゴタを気にしないで走れるようになっても、なかなか思うように走れなかった。

落ちまくったスピード、持久力、メンタル。どれを取っても悲惨な状況だった。

どん底の時は、「もうウルトラを走れないのではないか?」とも思った。

こんな時に奮い立つことが出来て、やるべきことに対峙してこれたのは、ウルトラに挑戦していく中で「諦めずに、一歩一歩前へ進んでいく」ということを学んでいったからだと思う。

10年前に野辺山でウルトラマラソンに出会って、今日で10年。

ウルトラマラソンは楽しい。

走っている中で普段は出てこないような自分に会える。

いい自分にも、悪い自分にも。

めっちゃしんどい中で、ウルトラマラソンも人生も諦めずに一歩一歩行くことが何より大切だということを走るたびに学べることもすごく面白い。

そんな感じで、ウルトラマラソンに挑戦する中で少しずつだけど自分がマシな人間になっていくような気がする。

まだまだだけど。

この日も沿道の方やエイドの方に応援して頂いて、本当に幸せだなあと感じたし、楽しかった。

2年ぶりに走った野辺山のコースは相変わらずタフで、景色は美しかった。

本当にここに帰ってこれて良かった。

「ありがとうございましたー!!また来ます!!」

最高の気分で、ゴールした。

これからも、人生色々あるとは思うけどランニングを楽しんで続けていって、野辺山ウルトラマラソンに挑戦を続けていきたいと思う。

2025年野辺山ウルトラマラソン振り返り 最終話「野辺山を初めて走ってからの10年とこれから」完

コメント

タイトルとURLをコピーしました