どうにかこうにか辿り着いた足和田出張所。
第三関門は突破できた。制限時間には余裕がある。
補給以外では止まらない。ここまでの5kmは7:50/km位になってしまっている。
ペースの落ち方がかなりヤバい。このまま落ちていくと、今ある制限時間に対しての余裕などすぐに消し飛んでしまうだろう。
ペースを速めようとなどしなくていいから、とにかく前へ進んでいく。
「キツさには、波がある」
「諦めずに動き続けていれば、必ず回復する」
そうだ。そうやって、ここまでもやってきたじゃないか・・・・。
粘るんだ。
そんな思いで、足和田出張所を出発しました。
止まらないペースダウン

足和田出張所を出てすぐの坂は歩いたり走ったりしながら突破。
しかし、どうにもペースが上がらない。
西湖に着いてからも歩いたり、走ったり。
これまで参戦したウルトラの後半戦で繰り出す「電柱走り」や「何分走って、何分歩く」とかをやって、どうにか8:00/kmをキープしているが、これではどんどん制限時間のラインが迫ってきてしまう。
歩く時間もどんどん増えてきてしまっている。
エイドで座ってしまうことまで、出てきてしまった。
走ることはままならないのに、時計を見る回数だけが増えていく。

このグダグダになる感じ、なんかウルトラマラソンやってるなぁと思う。
出来れば、こんな感じでウルトラマラソンな感じを味わいたくなかったのだが・・・・(;^_^A
でも、こういうことも含めて非日常を味わえるのは、やっぱり楽しいなぁと思う。
景色もきれいだし、この辺りでトランプ大統領の格好して応援してくれてる方を見た時は笑ってしまった。
トランプ砲で僕のポートフォリオは現在メタメタだが、そんなことよりも僕のメンタルと走力の暴落っぷりが止まらない。2024年からここまでの暴落っぷりも凄まじいものがあるが、この日にさらに追い打ちをかける暴落が来た気がする。
ふふふ・・・来たな二番底。
そんなくだらない妄想もしつつ、進んでいく。
株なら損切り出来るが、自分自身はいくらヘボくても、情けなくても損切りなんて出来ない。
この自分で勝負していくしかないのだ・・・。
トランプ大統領(?)の応援や、そこかしこで頂く応援のおかげで、ペースダウンはしつつもどうにか前進出来ていたし、こういう感じ、楽しいなぁとすら思えていた。
しかし、やっぱり、僕は何かを忘れていたように思う。
レースの必携品

野鳥の森公園エイドで、うどんは小麦アレルギーだから食べれないので、早々に出発すればいいのに座り込んでしまった。
この日の為に、現状の自分に合わせたトレーニングで、この富士五湖120kmを完走するには物足りない内容とはいえ、最善を尽くしてきたつもりだ。それに補給食、装備品など。
ここで座り込んでしまった時に、何かが自分に足りないことに気付いた。
それは「気持ちの塊」「気合い」「自分で自分を見限らない」「どんなことが起こっても受け入れる覚悟」・・・そんな、所謂「熱量」のようなもの。
今は間違いなく楽しいし、走ることが苦痛になってしまっていた1月や2月とは違う。
走る感覚だって良くなってきている。
・・・でも、それだけで、満足しているのは違うと思う。
なんか、ここに立てて、走れているだけで満足してしまっていた。
「闘志無き者は去れ・・・・」
遠くから、そんな言葉が聞こえた気がした。
なんか、とんでもないものを忘れてしまっていた気がする。
そんなでは、完走なんて出来るはずがない。
今日、どうなるかわからないけど、僕はもっと走る必要がある。
座っている場合じゃない!

ヨレヨレで赤池大橋を突破して、どうにか精進湖へ。
野鳥の森公園エイドで、かなりの時間をロスしてしまった。
でも、休んだからか、少しは回復したみたいだ。でも、もうペース表で立てた予定よりも相当遅れているし、このペースのままだと、本栖湖はギリギリになるだろう。
気持ちは戻ってきたし、心に火がついた感じはあるんだけど、体がとにかく言うことを聞いてくれない。
走って、歩いて、どうやっても8:30~9:00/km掛かってしまう。
エイドでも休んでしまう。
歩き癖が付いたのか、自分の限界なのか、走り続けられない。

精進湖も這いずるような感じで、突破。
精進湖では私設エイドの方に多く助けてもらえて、本当に感謝感謝でした。
この辺りで、ようやく走るリズムが少し戻ってきた。
本栖湖、間に合うかー。
関門閉鎖時刻、13:30は刻々と迫っていた。
矜持か意地か

この看板でおなじみの分岐の所で、13:15分を過ぎていた。
ここから本栖湖までは3.ウンkm。元気な状態なら間に合うけど、この状態ではとてもじゃないけど、無理だ・・・・
でも、何故か走り出した。これはブログを書いている今でも理由がよくわからない。
この日ダメダメだった自分への贖罪?悪あがき?
悔しさ?
不完全燃焼?
来月の野辺山に向けて少しでも距離を踏んでおきたいと思った?
意地?
矜持?
何に突き動かされているのか、よくわからないけど僕は走り出した。
「走っている」と言ってももう7:30/km位なんだけど、とにかく走っている。
もう関門には間に合わないのに。体中痛くて、もう休みたいのに。
ついさっきまでグダグダだったのに。
正直、かなり柄でもないことをしていると思うけど、なんか走っている。
こうやって、理由らしきものを羅列してみたけど、ピンと来るものはない。
ただ、ここで走れるならば、もっとそれまでに走れただろうということは思った。
こういう所が、僕の弱い所なんだよなぁ。
走っている時も、大会後数日たった後も、ここで走ることを選択した理由はわからない。
でもなんか、見たことない自分に会えたなと思うと、ここまでのたうち回ってきて良かったと思う。
収容バスの車窓から

本栖湖県営駐車場、13:35位に到着・・・。
ここがこの日のゴールとなりました。
情けないというか、悔しいというか、そしてもううのたうち回らなくて済むというかすかな安堵感、そして少し安堵している自分への嫌悪感。
本当に、弱いなぁ自分は。

その後バスに乗り込み会場へ。
バスの窓からボーッと外を見ていると、ゴールに向けて走っている人達が見える。
この振り返りの前半のお話しで「ウルトラマラソンは人生を暗喩している気がする」と書いた。
こんなこと書いたらお叱りを受けるかもだけど、僕の中のその暗喩の世界観だとリタイアバスはあの世だと思っていて、窓から見えるレースはその後も続く誰かの人生をあの世から見ているような感じなのかなと思う。
そして、いつも思う。
色々理論武装したり、学力つけたり、見た目を飾ったり、知識を蓄えたり、それも素晴らしいし、役にも立つだろう。
でも、やっぱり前進し続けること。
どんな状況でも、自分にやれることを見出して、一歩前へ出れること。
そして、その状況を楽しめること。
そんな自分を日々、作り上げられること。
たまには、ネガティブになってしまうこともあると思う。
それでも、すぐに前を向けること。一歩前へ足を踏み出せること。
そんなことが、一番大切なんじゃないかって思う。
この日に辿り着くまで、色々なことがあったけど、人生でも僕は立ち止まってしまいがちだ。
この日言い訳製造マシーンに一時なったのも、ウルトラだけでなく、普段でもある。
昨年なんかは大半がそうだった気がする。そして、立ち止まって蹲ってしまっていた。
ウルトラマラソンでは、僕の弱さがフルサイズに拡大されて「これでもか!」って位突き付けられてくる。
これが、なんとも面白い。
会場に戻って、完走した奥さんをお迎えして(相変わらずの安定感だったけど、今年は奥さんも道中かなり苦しんだらしい。強い。尊敬します。)、会場を後に。
自分はこのレース、最後まで前のめりでいれたのだろうか。
聞くまでもなく、答えは「No」である。
心のどこかで、
「あの状態からここまで持ってくれただけで十分」
「この関門を突破出来ると思わなかった」
「ここまでこれるなんて」
・・・ここまでのブログ内にも、このワードは書かれているが、これこそが僕の弱さだと思う。
「ゴールする」という意思があったのか?
と、問われるとどうなんだろうかと思う。なんか心の中に予防線をたくさん張ってしまっていたなというか。
自分に厳しい目を向けるとそんなことを思う。
でも、この日は本当に楽しかった。走れて良かった。
情けない自分に会えたのもよかった。良い景色も楽しめた。
でも・・・、やっぱりゴールしないとダメだ。
心身共に、さらに鍛え直しだ。やるぞ。
2025年チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 最終話「最後は前のめりで」完
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