ここ最近続いている、家庭の事情的なアレコレ。
それに対応していく中で、自分の中で「多分こうだよなぁ」と思っていたことで確信に至ったことがあって。
それは「モノがあふれていて、カオスになっているのは良くない」という事。
仕事柄、色々な人の家に行きますが、そういう家は何かしらの問題を抱えていることが多い。
もちろん、
「問題を抱えているから片付けられない」
「モノが多いのが好きなんだ!そんなの偏見だ!」
と、いう反論もあろうかと思います。モノが多くて、問題はなにもないという家もあると思います。
でも、僕は「モノが多いのは、あまりいいことではないのではないか?」とはいつも思っていて、いつもモノを最小限に減らすようにしています。
今回、家庭の事情的なアレやコレやを対応していてやっぱりモノが多いのは良くないと思いました。
モノが所有者に所有されているのではなく、モノが所有者を所有しているような状態になっている。
主従関係が逆になっているのだが、当事者は気づいていない。
住宅、車、あふれるモノ、それらすべてを所有すること、それらへの支払いが自分の足枷になっていることに気づいていない。
当事者の人がいつ気づいてくれるかは、機会に委ねるしかないけど、そういうことに対応する日々の中、自分の家のモノを見ていると少しソワソワすることが最近あった。
だから、今一度、家のモノを再点検し、より踏み込んで捨てることにした。
ド派手に行くぜ!!
元々、モノは少ない家だ。
とはいえ、生きているとモノは増える。
買ってしばらく使っていたけど、使わなくなってしまったモノ。
頂きもので捨てるのが忍びなくて使わないけど置いておいたモノ。
もう何度も読んで、読まなくなった本。
今は使わなくなったモノ。
そんなモノ達を、奥さんと引き出しを開けて家じゅうを点検して回った。
「これいる?」
「これ捨てるわ」
「迷った時点で捨てる」
「あー、これあったことすら忘れてた」
「もう、これはさようならしよう」
そんなこんなで出てきたものは下記の通り。
- 本・雑誌:ボストンバック1個分
- 頂いたけど使わない毛布:2人分
- 使わなくなった小型家電:5~6点
- アイロン台、部屋の飾り、使わなくなったラグマット等
2人で暮らしていて、現状でも他人が来ると「全然モノないね!!」と言われる我が家ですがこんなに出てきました。
これら、特にあふれている訳ではないから、今でなくても良かったかもしれない。
取っておけば、いつか使うかもしれない。
この本だって、また読みたくなるかもしれない。
それでも、捨てた。
自分の持ち物に、経済的に、精神的に追い詰められている様をテレビでも本でもなく、リアルに見ると、それまでも、恐ろしいと思っていたけど、よりリアルに恐ろしいと感じたから。
映画「ゴジラ-1.0」で浜辺美波さんが初めてゴジラを見た時に「あれが・・・ゴジラ」といったシーン。あんな感じだ(どんなだよ)。
ブラウン管の向こう側、紙の向こう側は所詮他人事だ。
リアルに自分に迫ってきて、初めて本当の恐ろしさを知った。
そんなこんなで、我が家を旅立つことになったモノたち。
運転席以外は不用品で埋め尽くされた。
これらを連れて、ハードオフ、ブックオフ、リサイクルショップの順に周り、どうしても引き取ってもらえないものは地域のゴミ収集場に持っていく算段でした(回収費用は100kg以下で1400円だったと思う)。
家電類はハードオフで330円。
本はブックオフで1330円。
その他毛布等の不用品は、全部回収で100円。
もっと交渉すれば、値段はついたかもしれない。でも、回収費用を払わずにあれだけの不用品を手放すことが出来た(まさかの1760円の臨時収入だw)。それだけで十分だ。
そう。モノを所有する時に考えないといけない大切なことがある。
モノを手放すのにも、費用と手間がかかるのだ。
だから「安かったから買った」「タダだからもらってきた」そういう類のことは絶対にしていない。
本当に欲しいモノだけ、必要な分だけ、買う。そしてそれを使いきる。
新しいモノを買ったら、1個捨てる。
そんなことを再確認しつつ帰宅すると、家の中の空気が軽くなった気がした。
一息ついた後は、よりスッキリしたスペースを眺めながら掃除をして過ごした。
モノについて考えるようになったきっかけ
持ち物を減らしたい、物を所有することについて考えるようになったきっかけは高校か大学で観た映画『ファイト・クラブ』がきっかけ。
— こばすけ (@kobasuke_ricky) March 15, 2024
タイラー・ダーデンの『お前は持ってるモノに所有される』というセリフに衝撃を受けて以来のことです。 pic.twitter.com/zvwAh30H83
モノについて考えるようになったのは、上記のポストの通り、学生時代に観た映画「ファイト・クラブ」以来のこと。
それ以来、とにかく身軽に生きていきたいと思ってきた。
「自分の人生を自分の所有しているモノに所有されるなんて、まっぴらごめんだ」
そんな気持ち。
「ちょっと、お前それは捨てなくても・・・」と突っ込まれるようなものも捨ててきた。
でも、それは思い出を捨てたわけでもない。
頂きものを捨てたからって、感謝していない訳ではない。
全部、この頭に、心に、刻み込んである。
そんな風に思って生きてきて、40代も半ば。
ここ最近のトラブルで、なんとなくボンヤリ「大量購入大量消費はモノに支配されているような生き方で僕は嫌だなぁ」と思っていたのが、はっきりと「そんなのは嫌だ」に変わった。
僕は、少数精鋭の気に入ったものを使い切っていくスタイルで生きていきたい。
必要なモノも、モノの数も生きていれば変化することもあるだろう。
でも、その度に自分に問いたい。
「それは必要最小限のもので、身軽さを感じているか?」と。
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