「情報化社会」
そんな言葉も最早死語なのではないかと思う位、日々色々なとんでもない量の情報が飛んでいる。
テレビからは、経済・社会・世界情勢のニュースから、芸能人のゴシップまで。
スマホ・パソコンを開いてインターネットへ接続すれば、検索履歴を記憶しているのか僕の興味のある情報が矢継ぎ早に出てくる。
本屋に行けば、面白そうな本がたくさん。
人と話していても、色々な情報が飛んでくる。
どの本か忘れましたが、現代人の一日に受け取る情報量は、江戸時代の人の一年分の情報量に匹敵するとか書いてあったような気がします。
体が食べたもので構成されているというように、思考や情緒も得た情報に大きな影響を受けると言っても過言ではないと考えております。
情報を得ようと思えば簡単に得ることの出来る現代。
どの情報を得て、どの情報を得ないか、またどれだけ情報を得るか。
あふれる情報の海の中で、そんな選択が大事になってくるのではないかと思います。
あふれかえる情報
よく出来たものだと思う。
先日のことです。
腹筋ローラーを購入した僕は、腹筋ローラーの使い方や正しい膝コロのフォームを学ぼうとYoutubeで何本か動画を視聴しました。
その次の日。ランニングの動画を見ようとYoutubeを開いたら、マッチョマンのサムネイルがいっぱい。
Youtubeが僕の視聴履歴を見て提案してくれていたのだろう。
ツイッターもそうだし、ヤフーニュースを見ていても、気が付くと自分の興味のあるコンテンツへどんどん誘導されていく。
僕のツイッターのタイムラインは、僕が大好きなランニングとベイスターズ、リクガメのことがほとんどだ。
こんな感じで、インターネットはその人の興味のあることをどんどん表示して釘付けにしてくれる仕組みがあるように感じる。
特にSNSでは、自分と同じ傾向の趣味思考の人をどんどん表示していくような傾向があるように強く感じる。
これの良い面は、自分と同じ趣味の人とつながりを持てること。
そして悪い面は、おそらく「同族で固まってしまう事(リアルでもそうだとは思いますが)」。
テレビでは同じようなことが、何度も何度も繰り返し報じられる。
どんな良いニュースでも、「ちょっともう勘弁してください。」と言いたくなるくらいに繰り返しやっている。
最近は、やたらと心配を煽るような報道も多いように感じる。「~に気をつけて」「~のリスクが」などと親切なのかもしれないが、僕から見ていると、不安を助長しているような気がしてならない。
そして芸能人の不祥事の袋叩き。遠慮なく言わせてもらえれば、そんなことよりももっと報道機関として報道しないといけないことがあるのではないか?と思ってしまう(日本は報道の自由度が世界の中で低いということを先日知って、なるほどなと思いました)。
こういう情報の大波を受けて、精神に不調を訴える人や辛くなってしまう人もいると聞いた。
僕も、ずっと不安を煽るような報道やゴシップばかりのテレビには食傷気味だから、もしかしたら情報を浴びすぎることで不調になってしまう人なのかもしれない。最も、僕の場合は見てて頭の中でツッコミを入れながらイライラしてしまうのですが。
僕は、この情報が絶えず大量に流れてくることに対してしていることは、
「どれを入れて」
「どれを入れないか」
「どれだけ入れるか」
これを意識して情報に触れるようにしております。
僕なりの対応策
たくさんの情報をどう扱うかをずっと考え続けてきました。
極論すれば、ほとんどシャットアウトしても生きてはいける。でも、情報は武器という側面もあるし、インターネットやSNSならではの楽しみもあるし、それがあるからこそ知らないことを知れた部分が多々ある。
テレビだってそうだと思う。
だから、大量に流れてくる情報に思考や感情を支配され、使われてしまう状況になるのではなく、どう使うか、どう付き合うかが重要なのだと思います。
僕が一番に考えたのは「情報を受ける量を減らすこと」です。
それを念頭にやったことはこの3つ。
- テレビをなんとなくつけておくことはしない(見たいと思った番組だけ見る)
- ニュースはアナログの新聞で見る(文字だとキャスターの感情が入ってこない所が良い。)
- SNSやインターネットは好きだけど、触れない時間を作ることと、目の前に出てくる情報は僕の嗜好に合わせたものが出てくる傾向があるということを常に頭に置いておく(他の価値観や考え方、自分の知らない世界があるということを常に意識しておく)
大量に流れてくる情報に対して、「どれを入れて」「どれを入れないか」「どれだけ入れるか」を意識してやっていることはこの3つ。
これからも、情報との付き合い方を模索していきたいと思います。
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