先日健康診断を受けてきました。
いつも思うのが、自分ベースでは全然元気なのに、何か初期の疾患が見つかった場合僕はどう思うのだろうかということです。
「早期に発見出来て良かった!!」
と思うのか、
「いやー、こんなこと知りたくなかったな」
と、思うのか。
その場になってみないとわかりませんが、最近は情報を多く得過ぎるのも考え物・・・という考えがあったり、「知らなきゃよかったなぁ」と思う事も多いので、「知りたくなかった」と思うのか。
「いや、そもそも長生きしたいのか俺?」って思う。
バリウムを飲んで、検査技師さんの指示通りに謎の姿勢を取りながら、長生きについて考える。
元気で、自分のことを自分で出来る状態での長生きならばいいけど・・・・などというのは誰もが言う事だけれど、自分の最後なんて誰もどうなるかわからないし、選ぶことも出来ない。
うーん。わからない。長生きしたいかどうかなんて、考える方がナンセンスかな。そもそも自分の寿命なんてわからないし、どうにも出来ないのだから。
場面は変わって、問診の時間だ。
「お酒は飲みますか?」
「たばこは吸いますか?」
「運動の習慣はありますか?」
お酒もたばこもしません。運動は、趣味でランニングしています。
医師から今は大丈夫だけど、高血圧や脂質異常症等の生活習慣病について気をつけるようにと話があり、問診終了。高血圧とかの治療ガイドラインも年々変わっている気がする。あれを素直に見れずに、どうしても製薬企業と医者の結びつきが背後に透けて見えるような気がするのは、昔にMRという職業をやったせいだと思うw
健康診断の待ち時間ではいつもこんなことを考えている。
「長生きしたいのかどうか?」
「何か疾患が見つかったら僕はどう思うのか?」
こんなことを考えている一方で、いつもなんとなく、漫然と「長生き出来ますように」と思うけど、長生きして僕は何をしたいのかと考える。
漫然と長生きしていても、いつまでも終わらない、終わることが出来なくなった漫画の連載のように間延びした生き方になってしまうのではないか。
趣味のランニングだって、飽きるか、走れなくなるまでは続けていくだろうけど、間違いないことはいつかは終わることだ。
僕の近くにいる人も、いつかはいなくなっていく。
そう考えると、寂しさも感じるけれど、始まりがあれば終わりがあるのは当然のこと。
終わりがないなんて、それこそ悪夢だ。
どんな生き方になるかは、わからないけど、その日が来るまで精いっぱいやっていこうと思う。
健康診断の待ち時間は、いつも色々なことを考える。
高尚なのか、バカなのかはわからないけれど、「生きる」とか「命」について考える。
なんか背筋が伸びるような気すらする。
このままの気持ちで日々過ごせたら、何かが変わるかもしれない。
でも、バリウムを早く出す為の下剤が僕を煩悩だらけの日常へ引きずり戻す。
止まらない下痢、腹痛。腹痛から解放されたいという一念のみの自分。
便座に座り込み、トイレの住人と化す自分。
トイレの流れる音と一緒に、「生きる」ことについて考えていたこととかも全て流れていく。
と、いう訳でこれからも、楽しく元気にやっていきたいと思います。
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