ひょんなことから、漫画「マラソンマン」を先月あたりから読み始めて、先日読み終えた。
この漫画・・・・すげえ。
趣味のランニングが題材の漫画なのですが、最早ランニングの漫画なのかわからない位の破天荒な展開。
それでも続きが気になって、気が付いたら最終話。
読み終えた後は、
「う・・・うん。なんか最後は良かったし、熱い気持ちになれたし、なんか良かった!!」
そんな感じ。
「友情・気合い・根性」、これを全面に押し出した漫画は久しぶりに読んだなぁ。
子供の頃に読んでいた漫画はこんな感じのものばかりで、読みながら子供の頃にタイムスリップしたかのような気分になったマラソンマン。
年齢を重ねていくにつれて、得たものもあれば失いつつあるものがあるなと感じたマラソンマン。
感じたことについて、ちょっとネタバレ含みつつ、つらつらと書いていきたいと思う。
ハチャメチャな展開
マラソンマン。
主人公は高木一馬という少年が走り始めて、社会人になって・・・というあたりまでが描かれている漫画。
同じくランナーである父はレース中に亡くなり、
それがきっかけでランニングをしなくなり(その間水泳をしていた)、
大学生時代は箱根駅伝を目指す傍ら、幼馴染の借金をめぐり極道と競走したり、それで仲良くなった友人がその後箱根駅伝の時に刺殺されてしまったり。
それがきっかけで逃避行し、その先でも・・・・
とにかく「ありえねーだろ!!」と言いたくなるような展開が多い。列記しただけでも意味がわからない。
まさにマラソン版「魁!男塾」。
そんな展開に散りばめられたトレーニング理論や方法はまさにランニングの専門書に書いてあるようなことが書いてあり、それを「ふむふむ・・・」と読んでいるとまた男塾的な展開になり、ツッコミ入れつつも胸が熱くなっている。
読み終えた後は、「よし。走りに行くか!」「よっしゃ!たまには根性とか言ってみますか!!」という気分になる、面白くて熱い気持ちになる漫画でした。
実は大事なことを示唆している・・・??
「あのなぁ~テニスはなぁ~気合いと根性でやるんだよ~!!」などと訓示を垂れていた、今となっては相当恥ずかしい過去がある。
僕の学生時代はそんな感じだった。令和の時代では、不適切なことだらけの部活動だろう。
大会をやれば、通っていた大学の校章旗の横に部旗の「闘魂」と書かれたものが貼られていた。
今では少しでも違和感があれば走るのを休むが、学生時代は痛み止めをラムネ感覚で飲み、「こんなもんは気合いでどうにかするんだよ」と言って無理やり大会に出たりしていた。
絶対に推奨しないし、美談にするつもりもない。事実、そんなことをした代償で大学を卒業した後一年間は脚が痛くてテニスは出来なかった。
一年間、全く運動せずに過ごしてようやく脚は治った。
そんな経緯もあることから、社会人になってテニスを再開した時も、テニスを肩の故障で辞めてランニングを始めた時も、あまり気合いと根性という言葉は使わないし、理に適っていることをして力をつけて、挑戦をしていくというスタンスでやっていた。
これは、変えるつもりはない。
まずは「故障をしないこと、そして健康に走ること」これは一番大切にしていきたいこと。
でも、大会でキツすぎて「もうダメだ・・・・」ってなった時、昔の自分なら、
「俺の根性はここからじゃー!!うおーうおー!!」
「ここからは、気合いと精神力で勝るものが生き残る!」
とか、そんなアホなノリがあった気がする。それで何とかなることもあれば、ならないこともあったけれど。
何が言いたいのか。
年齢や経験を重ねて、色々スマートに物事を運べるようにはなってきた。
過去の自分への反抗なのか、変に「気合いや根性」を避けている自分がいる。
自らをコントロールする力、コントロール出来ないものを手放す力。
理にかなったことを積み上げて継続していく力。
この2つの力は本当に大切だと思う。
でも、僕は最後の最後、自分が追い込みに追い込まれた所で結果を出せないということが仕事でも、ランでもあった。
何が足りなかったのか。
最後の最後は、気合いと根性なのだ。
「思い」という気持ちの塊が物事を、状況を動かすことがあるのだ。
そんなことを思い出させてくれた、漫画「マラソンマン」でした。
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