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故障すると想像する、いつか来る走れなくなる日のこと。

ランニング
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現在、前脛骨筋炎で休養を経て、ようやくリハビリジョグ出来る所まで回復出来た。

4月の下旬からほぼ走っていないと言っても過言ではない状況で、これだけ走っていないのはコロナ禍の時に大腿四頭筋を故障して1か月位休養したことがあったけど、あの時以来。

で、こういう時によく考えるのが、表題の「いつか走れなくなる日が来ること」。

それは故障によるものなのか、加齢なのか、病気なのか、家庭のやんごとなき事情とかなのか、事故なのか・・・

あるいは、走れなくなるんじゃなくて、走らなくなるのかもしれない。

走るのに飽きたとか、他にやりたいことが出来たとか、等々。

まぁいずれにせよ、そういう日は来るだろう。

で、走らなくなるのは自分の意思だから、その時の自分の選択を尊重すればいいけど、よく考えるのは「走れなくなる日」のこと。

日常レベルでは走れるけど、例えばフルマラソンやウルトラマラソンに出るのはもう難しいとかそういう日も来ると思う。

他にも慢性的に故障してしまって、走るのが厳しくなるとか。

こういう時に、どういう風に自分の気持ちと折り合いをつけて手じまいしていくか、縮小していくか、ということについてよく考える。

今の生活の感じだと、結構ランニングがないとどうなるのかなと思うけど、案外大丈夫だと思っていて。

というのも、僕は学生時代から30歳位まではソフトテニスをゴリゴリやっていた。

社会人でもクラブチームに入って、シーズン中は色々な所の大会に出て楽しんでいた。

でも、学生時代からやり込んできた影響なのか、肩の故障が看過出来ないレベルになってきて、ある大会翌日の朝、あまりに肩が痛むので「よし、もう引退だ」と決めて、それっきり止めてしまった。

こうやって書くと二行だけど、結構テニスは入れ込んでた。学生の時は故障して練習出来ない時は世界の終わりのように落ち込んで焦ったし、痛み止めを飲みまくって強行出場したり、自分の人生のすべてと言ってもいい位打ち込んでいた。社会人になってからはそれよりはトーンは下がったけど、今のランニングよりも打ち込んでいたかもしれない。

いや、なんか「手放せないもの」「自分の人生に欠かせないもの」と思い込んでいたのかもしれない。

でも、そんなテニスをあっさりと止めて、肩の痛みが治まってもやろうとは思わず、なんか気が付いたらダイエット目的でランニングを始めていた。

それからかれこれ10年以上、ランニングを楽しんでいる。継続年数でいうとテニスを超えてしまった。

この件を経て、空いた箱には新しい何かが入ってくるんだなと思った。

僕の体を動かすことが好きという箱にギッチギチに入っていたテニスが抜けて、しばらくは空っぽだったけど、そこにランニングが入ってきた。

そんな感じで、なんだかんだで空いた箱には何かが入るのかなとは思う。

とはいえ、人生右肩上がりでいくことなんてないという現実は頭で理解しつつも、右肩上がりを望んでしまいがち。

そんな中で自分の現状や感情と折り合いを付けて今やっている事を縮小して、手じまいしていくということは結構痛みを伴うことかもしれない。

「ランニングが出来なくなっても案外大丈夫かもしれない」

などと強がってみたけど、まぁ痛みは伴うだろうな・・・。テニスの時だって、振り返ればあっさりだったけど、当時は結構落ち込んだ。

まぁでも、そうやって現状を受け入れて、折り合いをつけていくことも生きていく上で大切だし、それも楽しんでいきたいという思いもある。

・・・なんか何書いているかわからなくなった。

今、故障してて、思うように走れないことにモヤモヤしてるけど、きっとこんな日々も走れなくなったことを受け入れた後の僕からしたら、懐かしい日々のひとつになるんだろう。

そう思って、日々やっていきたいと思う。

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